詳細 | |
---|---|
学科 | 教育文化学科 |
年度 | 2010 |
ゼミ名 | 越水 雄二 |
タイトル | 異文化理解における序列意識の克服にむけて |
内容 | 「人は皆平等」と言われるが、現実社会には偏見や権力関係が大いに存在する。本論文の目的は、異文化理解における偏見や序列意識に気付き、正面から向き合うことだ。第一章ではまず、元来のオリエンタリズムが異文化に対する<純粋な関心>であるのに対し、サイードのオリエンタリズムが権力関係を前提とした、東洋に対する西洋の眼差しであることを指摘する。その上で、ファンタジーをもって語られる国際結婚に注目し、そこに潜む序列意識やオリエンタリズムを考察する。 第二章では、それらがいかにして生まれるのか、<範疇化>と<同質性>の問題から考える。ここでは、自己と他者の間に境界線をもうけることで差異化の運動が進み、それが偏見や差別を生みだすこと、また、逆説的ではあるが、境界線の消滅を感じた時、人は他者との同質化を恐れて相手を攻撃しうるということを明らかにしていきたい。 |
講評 | 2010年度卒業論文講評(教育文化学演習Ⅲ・Ⅳ-④) 今年度の西洋教育文化史ゼミでは、2名が卒業論文を執筆した。 『異文化理解における序列意識の克服に向けて』は、近年の日本における国際結婚の実態に関するデータを切り口に、サイードによる〈オリエンタリズム〉論や、民族の虚構性をめぐる小坂井敏晶の研究などを参考にして考察を進める内容であった。著者は、国境と文化の違いを越える人びとの交流を、政治・経済的背景や社会心理の観点から捉えて、自文化中心の優越感や劣等感に基づく異文化間の序列意識から解放される道を探った。 『中世スペインにおける寛容の時代―ユダヤ教徒の境遇に注目して―』は、8世紀から11世紀までを中心に、後ウマイヤ朝支配下のスペインに見られたイスラーム教徒とユダヤ教徒やキリスト教徒との平和的な共存状態を、〈アル・アンダルス〉と呼ばれた地域における経済と文化の発展にユダヤ人が果たした役割に注目して紹介する内容だった。これは主にマリア・ロサ・メノカルの研究『寛容の文化』に依拠してまとめられた。 以上のように研究対象は全く異なっていても、二つの論文には、異文化間の交流に関する問題を考察した点ではテーマに共通性が認められる。また、そうしたテーマが、著者それぞれの海外留学や研修体験によって設定された点も同じだった。両論文とも、学術論文として見れば、内容が「広く浅く」なり独自の考察を深めるには至らなかった点を、学生も教員も反省しなければならない。その上で、卒業論文作成を通じて各自の自由な問題設定から新たに学んだ内容と考えた経験を、今後もそれぞれ大切にしてほしいと思う。 |
キーワード1 | 異文化に対する<純粋な関心> |
キーワード2 | オリエンタリズム |
キーワード3 | 序列意識 |
キーワード4 | 範疇化 |
キーワード5 | 同質化 |
戻 る |