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学科 | 産業関係学科 |
年度 | 2010 |
ゼミ名 | 石田 光男 |
タイトル | 環境教育のあり方-日本とドイツの違い- |
内容 | 現在の日本にはエコという言葉が蔓延り、全ての企業は環境に対して何らかの対策を行っている。組織での環境対策が進む中、個人の環境意識は組織が行う対策の高まりに比例しているとは言えるだろうか。世界中からは、日本は環境大国と捉えられ、日本人の環境意識も当然高いものと考えられている。日本人は表面上、環境意識が高いように思われるが、環境行動の側面から見ると実際にはそれほど高くない事が分かる。そこで本論文では、同じく環境大国と称されるドイツとの環境意識やその背景の違いを考察した。その結果、日本とドイツの地理的条件、国民性、非政府団体の活躍、教育制度の違いが関係している事が分かった。その中でも現在の環境意識を醸成してきた教育の影響は大きく、地理的条件とは異なり今後変えていく事が可能なものである。そこで環境教育に焦点をあて、今後の対策を考えていく。日本には、日本人の自然感を生かし、その上で環境教育制度を変える必要がある。それだけでなく、今後の世界を担う子供たちに、今まで大人達がどのようにして自然と共存してきたのかを教えていく事も大切である。 |
講評 | 卒業論文は一人一人の言葉の正しい意味での自己紹介だと思う。「わたしはこういう人間です」「これ以上でもこれ以下でもありません、私という人間は」ということをどうしても表現することになってしまうのが言葉の本性だからである。言葉遣いの現在の到達点、それが各人の卒業論文である。 印象に残る良き作品について若干の言及をしたい。「先生と私」は卒論テーマが定まらずに困った末に、ゼミの先生の研究をきちんと理解しようとした、素直で学生らしいよい卒論である。それも研究方法、研究態度を追いかけているのが優れている。私が何故、政策的指南を行わないのかをよく理解しようとし、その上で、にもかかわらず、私の研究は「生き方を指南している」という結論は鋭い。「教員組合のあるべき姿」は、わからないことを当事者にあたって調べるという産業関係論の実証的精神をよく体現した力作である。その心構えがよい。「感情と経験を言葉にする」は、西部氏の『人間論』をしっかり自分なりに読み込む努力が、通常の学生にない真摯さに貫かれていて私のような年配者に「もっと議論してください」と訴えているようで、誠に好感のもてる作品である。「グローバル社会で生き抜くための人材戦略」は私が唱える日本の伝統的人的資源管理の美点への「惑溺」的欠陥を若い世代の視点から覆そうとする、切迫感がすばらしい。心のこもった作品である。 また、最も嬉しかった作品は「日本の人事・賃金制度の歴史」である。何事にも無関心で無気力な同君が「私はこんなに変わりました」ということを喜びに満ちて表現しているからだ。教育をしていてめったに出会えなかった喜びだ。私が励ましを得た貴重な作品である。 偽りのない自分の到達点としての卒業論文を直視して、そこから自らの研鑽を積み上げていって欲しい。 |
キーワード1 | 環境 |
キーワード2 | 環境教育 |
キーワード3 | 環境意識 |
キーワード4 | 地球温暖化 |
キーワード5 | 環境保全団体 |
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