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学科 | 産業関係学科 |
年度 | 2010 |
ゼミ名 | 石田 光男 |
タイトル | 我が国の高齢者介護の実情と介護職員の処遇について |
内容 | 日本の家族の在り方が戦前と戦後で大きく変化していき、高齢者介護において介護施設や老人保健施設が、この国の社会において必要不可欠なものとなっている。また、日本は医療の発展などの背景によって、高齢者社会から超高齢者社会へと変貌していった。さらに、家族制度の崩壊により家族に介護力がなくなり、ますます病院や施設の力が必要不可欠になってきたのいだ。 そういった中で介護という仕事は将来に希望の持て人に喜んでもらえる職種といって、もてはやされた時代もあったが、実際に働いてみると、その大きなギャップが、高い離職率や介護職に就きたいと考える人の減少に繋がったのだ。今後、日本の明るい未来のためにも介護職員の処遇改善は必要だと考える。 我が国の今後の問題を考えるにわたり、高齢者問題は非常におおきな割合となっている。この問題は、雇用問題、少子化、社会保障問題など様々な問題が複雑に絡み合っていることはいうまでもない。今回、「我が国の高齢者介護の実情と介護職員の処遇について」という論題を選択し、高齢者問題のまわりに存在する問題は、現在の日本が問題としている様々な問題と関係してくるということがわかった。 |
講評 | 卒業論文は一人一人の言葉の正しい意味での自己紹介だと思う。「わたしはこういう人間です」「これ以上でもこれ以下でもありません、私という人間は」ということをどうしても表現することになってしまうのが言葉の本性だからである。言葉遣いの現在の到達点、それが各人の卒業論文である。 印象に残る良き作品について若干の言及をしたい。「先生と私」は卒論テーマが定まらずに困った末に、ゼミの先生の研究をきちんと理解しようとした、素直で学生らしいよい卒論である。それも研究方法、研究態度を追いかけているのが優れている。私が何故、政策的指南を行わないのかをよく理解しようとし、その上で、にもかかわらず、私の研究は「生き方を指南している」という結論は鋭い。「教員組合のあるべき姿」は、わからないことを当事者にあたって調べるという産業関係論の実証的精神をよく体現した力作である。その心構えがよい。「感情と経験を言葉にする」は、西部氏の『人間論』をしっかり自分なりに読み込む努力が、通常の学生にない真摯さに貫かれていて私のような年配者に「もっと議論してください」と訴えているようで、誠に好感のもてる作品である。「グローバル社会で生き抜くための人材戦略」は私が唱える日本の伝統的人的資源管理の美点への「惑溺」的欠陥を若い世代の視点から覆そうとする、切迫感がすばらしい。心のこもった作品である。 また、最も嬉しかった作品は「日本の人事・賃金制度の歴史」である。何事にも無関心で無気力な同君が「私はこんなに変わりました」ということを喜びに満ちて表現しているからだ。教育をしていてめったに出会えなかった喜びだ。私が励ましを得た貴重な作品である。 偽りのない自分の到達点としての卒業論文を直視して、そこから自らの研鑽を積み上げていって欲しい。 |
キーワード1 | 介護保険制度 |
キーワード2 | 介護職員 |
キーワード3 | 少子化 |
キーワード4 | 社会保障 |
キーワード5 | 家族制度の崩壊 |
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