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学科 | 産業関係学科 |
年度 | 2010 |
ゼミ名 | 石田 光男 |
タイトル | 食の地域ブランド化と基礎自治体の役割 |
内容 | 近年になって地域主権や地方分権という言葉をよく耳にする。それは国の持つ権限を地方に移譲すると共に、財政面でも地方の自立を促している。しかし広域・基礎に関わらず、ほとんどの自治体が余裕のある状況ではない。よってそれを打開し、自治体の存在感を世に示す必要がある。そのひとつの手法として食の地域ブランド化が挙げられる。富士宮市の富士宮やきそばがその一例である。そして現在多くの自治体が、その地方独自の食をブランド化することによって、地域振興・町おこしを行っている。本論文では既に一定の成果を得ているといえる食の地域ブランド化の事例に対して、基礎自治体がどのように関わってきたのか、また私の暮らす近畿地方の自治体らが現在、ブランド化に向けてどのような取り組みを行っているのかを、インタビューを交えて調査した。それらを基に、取り組みの同異点、基礎自治体がどのような役割を担うことができるのか、広域自治体との連携などを含めて考察している。 |
講評 | 卒業論文は一人一人の言葉の正しい意味での自己紹介だと思う。「わたしはこういう人間です」「これ以上でもこれ以下でもありません、私という人間は」ということをどうしても表現することになってしまうのが言葉の本性だからである。言葉遣いの現在の到達点、それが各人の卒業論文である。 印象に残る良き作品について若干の言及をしたい。「先生と私」は卒論テーマが定まらずに困った末に、ゼミの先生の研究をきちんと理解しようとした、素直で学生らしいよい卒論である。それも研究方法、研究態度を追いかけているのが優れている。私が何故、政策的指南を行わないのかをよく理解しようとし、その上で、にもかかわらず、私の研究は「生き方を指南している」という結論は鋭い。「教員組合のあるべき姿」は、わからないことを当事者にあたって調べるという産業関係論の実証的精神をよく体現した力作である。その心構えがよい。「感情と経験を言葉にする」は、西部氏の『人間論』をしっかり自分なりに読み込む努力が、通常の学生にない真摯さに貫かれていて私のような年配者に「もっと議論してください」と訴えているようで、誠に好感のもてる作品である。「グローバル社会で生き抜くための人材戦略」は私が唱える日本の伝統的人的資源管理の美点への「惑溺」的欠陥を若い世代の視点から覆そうとする、切迫感がすばらしい。心のこもった作品である。 また、最も嬉しかった作品は「日本の人事・賃金制度の歴史」である。何事にも無関心で無気力な同君が「私はこんなに変わりました」ということを喜びに満ちて表現しているからだ。教育をしていてめったに出会えなかった喜びだ。私が励ましを得た貴重な作品である。 偽りのない自分の到達点としての卒業論文を直視して、そこから自らの研鑽を積み上げていって欲しい。 |
キーワード1 | 地方分権 |
キーワード2 | 地域ブランド |
キーワード3 | 基礎自治体 |
キーワード4 | |
キーワード5 | |
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