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学科 | 産業関係学科 |
年度 | 2010 |
ゼミ名 | 石田 光男 |
タイトル | 経済格差を問う-グローバル化社会の潮流 |
内容 | 経済格差という言葉は今日では世界中に広まっている。この言葉は社会の中での人々の間の格差という意味である。例えば、収入格差、教育や地位の高さによる格差、社会保障を受けられる範囲での格差など様々である。この現象はアメリカを始め、中国にもあれば、ヨーロッパにもある。日本では格差社会と呼ばれ、その格差は世界的に見ても少ないと言われている。しかし実際、今日の人々の経済事情は一昔前よりも悪化しており格差は開き始めている。そのため私たちはこの問題をないがしろにしてはいけない。そこで私はこの問題について俯瞰し、その理由や影響を突き詰めていきたいと思う。研究するにつれてわかったことは、経済格差は唯の社会問題ではなく、大きなバックグラウンドがあり、世界中の国々で取られている経済政策の影響があるということだ。そしてこの経済政策の悪影響が私たちの今日実感している社会問題となっているのだ。このような流れは果たして正しいのであろうかという疑問を前提に調査してみると、経済格差、グローバリゼーション、新自由主義、セーフティネットなどのキーワードが浮かび上がってきた。まず経済格差の原因であるといわれるグローバリゼーションを本論で説明する。そしてこのグローバリゼーションの実態を統計的に観察すると国々の行ってきた政策の問題点が見えてきた。多くの先進国が行ってきた政策には特徴があり、それは歴史的な経由を経て新自由主義的な政策に転換してきたのである。そしてその新自由主義的な政策が私たちに与えている影響を分析することでわかったことは、日本を含め多くの国々の社会保障が不十分なのだ。日本について焦点を当ててみると、企業の労働者保障の意義が希薄化することによって労働者の地位が低下した。それが中流階級を減少させワーキングプアという人々が生み、セーフティネットという視点から国の保障体制を維持しなければならないという結論に至った。 |
講評 | 卒業論文は一人一人の言葉の正しい意味での自己紹介だと思う。「わたしはこういう人間です」「これ以上でもこれ以下でもありません、私という人間は」ということをどうしても表現することになってしまうのが言葉の本性だからである。言葉遣いの現在の到達点、それが各人の卒業論文である。 印象に残る良き作品について若干の言及をしたい。「先生と私」は卒論テーマが定まらずに困った末に、ゼミの先生の研究をきちんと理解しようとした、素直で学生らしいよい卒論である。それも研究方法、研究態度を追いかけているのが優れている。私が何故、政策的指南を行わないのかをよく理解しようとし、その上で、にもかかわらず、私の研究は「生き方を指南している」という結論は鋭い。「教員組合のあるべき姿」は、わからないことを当事者にあたって調べるという産業関係論の実証的精神をよく体現した力作である。その心構えがよい。「感情と経験を言葉にする」は、西部氏の『人間論』をしっかり自分なりに読み込む努力が、通常の学生にない真摯さに貫かれていて私のような年配者に「もっと議論してください」と訴えているようで、誠に好感のもてる作品である。「グローバル社会で生き抜くための人材戦略」は私が唱える日本の伝統的人的資源管理の美点への「惑溺」的欠陥を若い世代の視点から覆そうとする、切迫感がすばらしい。心のこもった作品である。 また、最も嬉しかった作品は「日本の人事・賃金制度の歴史」である。何事にも無関心で無気力な同君が「私はこんなに変わりました」ということを喜びに満ちて表現しているからだ。教育をしていてめったに出会えなかった喜びだ。私が励ましを得た貴重な作品である。 偽りのない自分の到達点としての卒業論文を直視して、そこから自らの研鑽を積み上げていって欲しい。 |
キーワード1 | 経済格差 |
キーワード2 | グローバリゼーション |
キーワード3 | 新自由主義 |
キーワード4 | セーフティネット |
キーワード5 | |
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