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学科 | 産業関係学科 |
年度 | 2010 |
ゼミ名 | 石田 光男 |
タイトル | 感情と経験を言葉にする~長期的に安定した感情を求めて~ |
内容 | 卒業論文執筆にあたり私が最も関心のあること、それは「自分自身」である。 そこで今回、とりわけ副題にある「長期的に安定した感情」を言葉にすることに向けてこれまでの経験を振り返ってみた。「長期的に安定した感情」とは、簡単に言えば自分の考え方の根本的前提を意味する。振り返る際の留意点として第一に、可能な限り「言葉」にこだわり、自分の「感情」と「経験」を適切に表してくれる表現を心掛けた。第二に、経験をすべて受け入れる覚悟をもって臨んだ。人の経験の中には自分が過去として受け入れたくない目を瞑りたくなるような経験が存在するものである。私の場合も例外ではなく、このような精神的苦痛を伴う経験からも逃げずに言語化を試みたことをこの要約で触れておきたい。 以上を通して、私の根底には「他者に必要とされたい・関わりたい」という感情が流れていると気付くことができた。この結論が適切に導き出されているのか、読んでくれる方にも検証して頂けたらありがたい。そして、分からない点やおかしい点を1人でも多くの人に指摘してもらえるのならば、「言葉の多義性(ポリセミ―)を発揮する」楽しさを抱いている私としては大変に嬉しいことである。 |
講評 | 卒業論文は一人一人の言葉の正しい意味での自己紹介だと思う。「わたしはこういう人間です」「これ以上でもこれ以下でもありません、私という人間は」ということをどうしても表現することになってしまうのが言葉の本性だからである。言葉遣いの現在の到達点、それが各人の卒業論文である。 印象に残る良き作品について若干の言及をしたい。「先生と私」は卒論テーマが定まらずに困った末に、ゼミの先生の研究をきちんと理解しようとした、素直で学生らしいよい卒論である。それも研究方法、研究態度を追いかけているのが優れている。私が何故、政策的指南を行わないのかをよく理解しようとし、その上で、にもかかわらず、私の研究は「生き方を指南している」という結論は鋭い。「教員組合のあるべき姿」は、わからないことを当事者にあたって調べるという産業関係論の実証的精神をよく体現した力作である。その心構えがよい。「感情と経験を言葉にする」は、西部氏の『人間論』をしっかり自分なりに読み込む努力が、通常の学生にない真摯さに貫かれていて私のような年配者に「もっと議論してください」と訴えているようで、誠に好感のもてる作品である。「グローバル社会で生き抜くための人材戦略」は私が唱える日本の伝統的人的資源管理の美点への「惑溺」的欠陥を若い世代の視点から覆そうとする、切迫感がすばらしい。心のこもった作品である。 また、最も嬉しかった作品は「日本の人事・賃金制度の歴史」である。何事にも無関心で無気力な同君が「私はこんなに変わりました」ということを喜びに満ちて表現しているからだ。教育をしていてめったに出会えなかった喜びだ。私が励ましを得た貴重な作品である。 偽りのない自分の到達点としての卒業論文を直視して、そこから自らの研鑽を積み上げていって欲しい。 |
キーワード1 | 言葉 |
キーワード2 | 感情 |
キーワード3 | 経験 |
キーワード4 | 不完全性 |
キーワード5 | 多義性 |
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