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学科 | 社会福祉学科 |
年度 | 2010 |
ゼミ名 | 野村 裕美 |
タイトル | 生の期限を知って生きる意味 逝く人と見送る家族の最期の思いやり |
内容 | 医学の進歩に伴い,人の寿命は伸び,多くの疾病は治療可能となっている.しかし死は,いつの時代も変わらずに,生きるものの人生に訪れる.死は避けることが出来ないけれど,終末期という死までの時間の過ごし方は,突然死の場合を除いて,選択することが出来る.そして,告知を受け,生の期限を知ることには利点がある.それは,残された日々をどう過ごすのかを自ら考える時間があることだ.周囲もまた,逝く人の命の限りを意識し,どう見送るのかを考える時間がある.本稿では,人の終末期の過ごし方について,人生を共に過ごしてきた家族たちの最期の時間に焦点を当てた.家族を遺して逝く本人,そして,逝く人を見送る家族,それぞれの視点からの死の受容過程について考察し,両者の死の受容において望ましい姿勢を示す.このことから,逝く人は遺す家族へ,見送る家族は逝く人へ,相手のために出来る最期の思いやりとはどのようなことなのかを導き出した. |
講評 | 筆者が書いているとおり、この論文は祖母との死別の経験を経て、筆者自身が死というものを自分の身近に起こりうることなのだと実感し、受け止めていった経過が背景に流れています。テーマ選び、問いに絞り込んでいく過程では、筆者自身が何かを伝えたい気持ちが強すぎて、問いの吟味はそこそこにまずは書き始めてみたという印象をもっています。先行文献を読んでは書いて、書き進んでは文献にあたるという往復の作業の中で、何が一体伝えたいのか、仲間に何とか理解してもらおうと、筆者の持ち前のあきらめないでくらいついていく姿勢は、ひとつの分岐点にたどり着きます。それは、専門家視点からの分析を一切やめて、家族の立場に立つということです。祖母を見送った時のことを思い出しながら、家族としての自らの経験に重なる先行文献をいくつも探し当て、逝く人と見送る家族の間で紡がれる最期の濃密な時間の必然性と必要性をケアの視点から説明していくことに成功しました。用いた文献は翻訳書も含めて和書から洋書にいたるまで広く、特に葬儀儀礼と社会関係について触れ、逝く人の生前から死後につながる連続した経過の中でのケアについて考察を深めた部分は読み応えがあります。卒論作成のプロセスでは、言いたいことが伝わらないことでさぞかし苦しく、そして悔しい思いをしたかもしれません。しかし、筆者自身がその転換点を見い出し、粘り強く取り組み力作を生んだ経験を、ソーシャルワーカーになっても忘れないでほしいと思います。ソーシャルワーカーがあきらめないことが、クライエントと家族には何よりの支えとなるのですから。 |
キーワード1 | 家族 |
キーワード2 | 共に過ごす |
キーワード3 | 心地の良い記憶 |
キーワード4 | |
キーワード5 | |
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