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学科 産業関係学科
年度 2011
ゼミ名 石田 光男
タイトル 公務員制度についての考察
内容  日本の財政状況が逼迫する中で、公務員の人件費を抑えることがこの国の重要課題の一つとなっている。そして、「公務員改革」という言葉がしきりに叫ばれている。給与制度改革、人員削減、天下り根絶、聞こえは良いが、ただ単に公務員の数や給与を下げればよいことなのだろうか。実際、公務員の給与は緻密に民間準拠で行われており、人員削減にも取り組んでいる。天下りにも一定の合理性がある。もちろん、明らかな無駄という極例もあるが、大部分の公務員制度は合理的であり、その制度のおかげでこれまでの日本が発展してきたという一面がある。また、単に公務員の待遇を悪くしても、職員の士気の低下、負担増大、優秀な人材の確保の困難を招き、その結果住民サービスの低下につながる恐れもある。また、公務員の働くモチベーションを妨げる要因の一つとして、管理職に関する人事制度を指摘することが出来る。これからはより流動的により若い職員が管理職となれる制度へ変わっていく必要があるだろう。日本の財政、経済発展、公務員のモチベーション、それらのバランスのとれた改革を模索していく必要がある。
講評  卒業論文は一人一人の言葉の正しい意味での自己紹介だと思う。「わたしはこういう人間です」「これ以上でもこれ以下でもありません、私という人間は」ということをどうしても表現することになってしまうのが言葉の本性だからである。言葉遣いの現在の到達点、それが各人の卒業論文である。
 そこからが君たちの出発である。
 いくつかのコメントをしたい。
第一、参考文献からの引用は丁寧にということを強調した。私は正直な論文が好きだ。だから他者からの引用と自分自身の言葉とを仕分けする作業は正直な自分になる作業である。その結果、みすぼらしい自分の発見に行き着くことが多いとは言え、かすかな輝やきをたたえている自分もそこにはかならずいるはずだ。その輝きを火種にこの人生を歩むのだ。
第二、実証的な研究であれ、文献研究であれ、自分を横に置いた論文はよくない。直ぐに反論があろう。実証研究であれば、事実に虚心に向かえば向かうほど自分などを出しようがないではないか、文献研究であれば文献の論旨を正しく追えば追うほど自分などを出しようがないではないかと。しかし、無限な事実の中からどんな事実が重要だと観るかに自分が現れるのだし、文献研究であればマル写しでない以上、自分の読み方が現れるのだ。その自分の現れ方、あるいは表し方が自分の個性であり、その説得力が自分の力量なのだ。そもそも自分を隠し続ける勉強などは面白くもないはずだ。勉強は打算でやるのではなくて面白いからやるのだ、ということをわかって卒業して欲しい。
第三、研究(勉強)と社会での仕事の関係。研究(勉強)は卒業でお終い、4月からは仕事という別世界だという理解は浅はかである。仕事を始めてみて本当の勉強が始まったと先輩たちは言う。実は地続きなのだ。全く二つの世界が別物であれば、いいですか、大学での勉強は無用だということになる。その気配が濃厚に漂っているのが現代日本ではあるけれど。仕事には実践が伴うが、勉強には認識という脳細胞の活動はあっても実践が伴わないという区分が先の言明の根拠になっているが、認識と実践とはさほど機械的に区分できない。「こう考える」、だからこうしてみようというように地続きになっている。
 偽りのない自分の到達点としての卒業論文を直視して、そこから自らの研鑽を積み上げていって欲しい。
キーワード1 給与
キーワード2 人件費
キーワード3 削減
キーワード4 モチベーション
キーワード5 合理性
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