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学科 産業関係学科
年度 2011
ゼミ名 石田 光男
タイトル 日本のLCCのあるべき姿とは
内容  日本の空は新たな転機を迎えようとしている。
 欧米ではLCC(格安航空会社)は庶民の足として馴染みがあり、大手航空会社と対等に競合している。空港着陸料などの税金も日本に比べると格段に安く、LCCが育つには良好な環境と言える。
 一方日本では、Peach以前にLCCと認知されている航空会社はなく、公租公課の負担が大きいため、LCCが就航するには最悪と言っていいほどの環境にある。
 そのような中、全日本空輸出資の日本初本格LCC「Peach」が来年3月から運航を開始する。それに先立ち、航空運賃が発表された。
 料金は大手の2分の1から3分の1に抑えられ、注目されている。しかし、国内には新幹線が存在し、航空機と新幹線の競合が予想され、将来的にはリニアも競合相手になると考えられる。
 本稿では、LCCに対する理解を深めるために、欧米のビジネスモデルを参考にLCCの戦略を整理し、日本のLCCが抱える公租公課問題、競合交通機関の存在を認識し、現状の中でLCCはどのようにあるべきかを考えていきたい。
講評 卒業論文は一人一人の言葉の正しい意味での自己紹介だと思う。「わたしはこういう人間です」「これ以上でもこれ以下でもありません、私という人間は」ということをどうしても表現することになってしまうのが言葉の本性だからである。言葉遣いの現在の到達点、それが各人の卒業論文である。
 そこからが君たちの出発である。
 いくつかのコメントをしたい。
第一、参考文献からの引用は丁寧にということを強調した。私は正直な論文が好きだ。だから他者からの引用と自分自身の言葉とを仕分けする作業は正直な自分になる作業である。その結果、みすぼらしい自分の発見に行き着くことが多いとは言え、かすかな輝やきをたたえている自分もそこにはかならずいるはずだ。その輝きを火種にこの人生を歩むのだ。
第二、実証的な研究であれ、文献研究であれ、自分を横に置いた論文はよくない。直ぐに反論があろう。実証研究であれば、事実に虚心に向かえば向かうほど自分などを出しようがないではないか、文献研究であれば文献の論旨を正しく追えば追うほど自分などを出しようがないではないかと。しかし、無限な事実の中からどんな事実が重要だと観るかに自分が現れるのだし、文献研究であればマル写しでない以上、自分の読み方が現れるのだ。その自分の現れ方、あるいは表し方が自分の個性であり、その説得力が自分の力量なのだ。そもそも自分を隠し続ける勉強などは面白くもないはずだ。勉強は打算でやるのではなくて面白いからやるのだ、ということをわかって卒業して欲しい。
第三、研究(勉強)と社会での仕事の関係。研究(勉強)は卒業でお終い、4月からは仕事という別世界だという理解は浅はかである。仕事を始めてみて本当の勉強が始まったと先輩たちは言う。実は地続きなのだ。全く二つの世界が別物であれば、いいですか、大学での勉強は無用だということになる。その気配が濃厚に漂っているのが現代日本ではあるけれど。仕事には実践が伴うが、勉強には認識という脳細胞の活動はあっても実践が伴わないという区分が先の言明の根拠になっているが、認識と実践とはさほど機械的に区分できない。「こう考える」、だからこうしてみようというように地続きになっている。
 偽りのない自分の到達点としての卒業論文を直視して、そこから自らの研鑽を積み上げていって欲しい。

キーワード1 LCC(格安航空会社)
キーワード2 公租公課
キーワード3 可能性
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