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学科 産業関係学科
年度 2011
ゼミ名 石田 光男
タイトル 公務員の賃金―平成23年人事院勧告を読み解く―
内容 公務員は、憲法で「全体の奉仕者」と定められ、職務の遂行に当たっては中立・公正性が強く求められる。そのため、国家公務員法に基づき、人事行政に関する公正の確保及び国家公務員の利益の保護等に関する事務をつかさどる中立・第三者機関として、設けられたのが人事院である。
人事院の重要な役割の一つに給与勧告がある。国家公務員は、その地位の特殊性及び職務の公共性に鑑み、憲法で保障された労働基本権が制約されており、人事院の給与勧告は、その労働基本権制約の代償措置として、国家公務員に対し、社会一般の情勢に適応した適切な給与を確保する機能を有するものである。
本論文では、その人事院給与勧告に着目し、本年の人事院給与勧告を読み解くことで、人事院がその役割をどのような形で果たしているのかについて研究し、公務員の処遇について学ぶものである。平成23年人事院給与勧告の“職員の給与に関する報告”においては、公務員の給与決定のための社会情勢や比較対象となる民間の給与などについての調査について解説されており、その内容をまとめたうえで、終章にて考察を述べる。
講評 卒業論文は一人一人の言葉の正しい意味での自己紹介だと思う。「わたしはこういう人間です」「これ以上でもこれ以下でもありません、私という人間は」ということをどうしても表現することになってしまうのが言葉の本性だからである。言葉遣いの現在の到達点、それが各人の卒業論文である。
 そこからが君たちの出発である。
 いくつかのコメントをしたい。
第一、参考文献からの引用は丁寧にということを強調した。私は正直な論文が好きだ。だから他者からの引用と自分自身の言葉とを仕分けする作業は正直な自分になる作業である。その結果、みすぼらしい自分の発見に行き着くことが多いとは言え、かすかな輝やきをたたえている自分もそこにはかならずいるはずだ。その輝きを火種にこの人生を歩むのだ。
第二、実証的な研究であれ、文献研究であれ、自分を横に置いた論文はよくない。直ぐに反論があろう。実証研究であれば、事実に虚心に向かえば向かうほど自分などを出しようがないではないか、文献研究であれば文献の論旨を正しく追えば追うほど自分などを出しようがないではないかと。しかし、無限な事実の中からどんな事実が重要だと観るかに自分が現れるのだし、文献研究であればマル写しでない以上、自分の読み方が現れるのだ。その自分の現れ方、あるいは表し方が自分の個性であり、その説得力が自分の力量なのだ。そもそも自分を隠し続ける勉強などは面白くもないはずだ。勉強は打算でやるのではなくて面白いからやるのだ、ということをわかって卒業して欲しい。
第三、研究(勉強)と社会での仕事の関係。研究(勉強)は卒業でお終い、4月からは仕事という別世界だという理解は浅はかである。仕事を始めてみて本当の勉強が始まったと先輩たちは言う。実は地続きなのだ。全く二つの世界が別物であれば、いいですか、大学での勉強は無用だということになる。その気配が濃厚に漂っているのが現代日本ではあるけれど。仕事には実践が伴うが、勉強には認識という脳細胞の活動はあっても実践が伴わないという区分が先の言明の根拠になっているが、認識と実践とはさほど機械的に区分できない。「こう考える」、だからこうしてみようというように地続きになっている。
 偽りのない自分の到達点としての卒業論文を直視して、そこから自らの研鑽を積み上げていって欲しい。
キーワード1 公務員
キーワード2 人事院
キーワード3 給与勧告
キーワード4 民間準拠
キーワード5  
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