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学科 | 産業関係学科 |
年度 | 2011 |
ゼミ名 | 石田 光男 |
タイトル | 日系企業が中国で躍進するための要素とは |
内容 | ファストファッションや電化製品に代表される昨今のデフレ傾向において、世界の工場と呼ばれる中国はほぼすべてのモノづくりの分野で我々に多大な恩恵をもたらしている。世界中の企業が中国に安価な労働力を求めており、もちろん日本も例外ではない。我々の生活を豊かにしてくれている中国、現地のスタッフである彼らの働くことに対するインセンティヴは何か。もちろん、賃金はその中でも大きな、あるいは最もウエイトを占めているであろう。しかし、数年前まで社会主義であった国の人々は私たち日本人とは違ったインセンティヴを持っているかもしれない。工場労働などの単純作業には1億5千万人以上の余剰労働力があるため(方・三宅2004)、単純労働力の不足についてはそれほど心配する必要はないようだ。それよりもむしろ、現地化をするにあたって大卒以上のホワイトカラー(技術開発・企画・営業分野)の確保が最重要課題になるということから、流動傾向の強い中国で優秀な人材を確保するにはどんな工夫がされているか、日本と現地における人事・労務管理の違いから探り、また、韓国や欧米企業が中国人を現地トップにして業績を伸ばす中で、日本企業はなぜ踏みとどまっているのか、その二つの問いを中心に日系企業の中国における発展には何が重要であるかを示したい。 |
講評 | 卒業論文は一人一人の言葉の正しい意味での自己紹介だと思う。「わたしはこういう人間です」「これ以上でもこれ以下でもありません、私という人間は」ということをどうしても表現することになってしまうのが言葉の本性だからである。言葉遣いの現在の到達点、それが各人の卒業論文である。 そこからが君たちの出発である。 いくつかのコメントをしたい。 第一、参考文献からの引用は丁寧にということを強調した。私は正直な論文が好きだ。だから他者からの引用と自分自身の言葉とを仕分けする作業は正直な自分になる作業である。その結果、みすぼらしい自分の発見に行き着くことが多いとは言え、かすかな輝やきをたたえている自分もそこにはかならずいるはずだ。その輝きを火種にこの人生を歩むのだ。 第二、実証的な研究であれ、文献研究であれ、自分を横に置いた論文はよくない。直ぐに反論があろう。実証研究であれば、事実に虚心に向かえば向かうほど自分などを出しようがないではないか、文献研究であれば文献の論旨を正しく追えば追うほど自分などを出しようがないではないかと。しかし、無限な事実の中からどんな事実が重要だと観るかに自分が現れるのだし、文献研究であればマル写しでない以上、自分の読み方が現れるのだ。その自分の現れ方、あるいは表し方が自分の個性であり、その説得力が自分の力量なのだ。そもそも自分を隠し続ける勉強などは面白くもないはずだ。勉強は打算でやるのではなくて面白いからやるのだ、ということをわかって卒業して欲しい。 第三、研究(勉強)と社会での仕事の関係。研究(勉強)は卒業でお終い、4月からは仕事という別世界だという理解は浅はかである。仕事を始めてみて本当の勉強が始まったと先輩たちは言う。実は地続きなのだ。全く二つの世界が別物であれば、いいですか、大学での勉強は無用だということになる。その気配が濃厚に漂っているのが現代日本ではあるけれど。仕事には実践が伴うが、勉強には認識という脳細胞の活動はあっても実践が伴わないという区分が先の言明の根拠になっているが、認識と実践とはさほど機械的に区分できない。「こう考える」、だからこうしてみようというように地続きになっている。 偽りのない自分の到達点としての卒業論文を直視して、そこから自らの研鑽を積み上げていって欲しい。 |
キーワード1 | 中国進出 |
キーワード2 | 日系企業 |
キーワード3 | 現地化 |
キーワード4 | インセンティブ |
キーワード5 | |
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