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学科 社会学科
年度 2012
ゼミ名 鵜飼 孝造
タイトル なぜ若者バッシングは終わらないのか  ―多元社会における存在論的不安が生み出す若者批判―
内容  大人たちは「最近の若者はダメだ」といったようなことをよく口にする。学者たちがデータを示して言うならまだしも、特に何か研究しているわけでもない普通の大人も安易に若者バッシングを口にする。大人たちは若者たちに対して好き勝手なイメージを抱いている。しかもそれらのほとんどはマイナスイメージなものである。中には若者をバッシングするために考案されたもののように感じる時もある。若者の一人として、大人たちが軽々しく口にする若者バッシングは納得できない、根拠のないものが多いように感じる。実際俗説的な若者論を検証してみると、間違っているものが多い。それにもかかわらず、大人たちはそれらを受け入れ、若者をバッシングする。昔から若者はバッシングされてきたと言われている。ではなぜいつの時代も大人たちは若者をバッシングするのか。その背景には、社会の多元化に対して大人たちが抱く存在論的不安が垣間見える。
講評  全編から「若者は不当にバッシングされている」という怨念があふれている。読んでいて納得できないのは、「若者」関連の書物や資料からの博引旁証ぶりは認めるが、自分は何を発見し、どのように分析し、どう判断するのかが非常に弱いところだ。つまり感情に流されて論をたてていない。「だから今どきの若いやつはダメだ」とやられてしまうのである。
 論戦の心得は、初めからは相手の土俵にのらないことだ。「若者は」と相手が言いはじめたら、「どこの誰のことだ」と水をかけるべきだ。いったん土俵にあがったら、相手の懐に飛び込んで回しをはなさず勝機をさぐりながら、自分に有利な体勢に持ち込むのだ。相手のスキを見つけたら、一気に寄り切るべし。最初からけんかに強い人はまれだ。若者論こそ自らを鍛える土俵のはずだ。
キーワード1 若者バッシング
キーワード2 社会の多元化
キーワード3 存在論的不安
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