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学科 | 社会学科 |
年度 | 2012 |
ゼミ名 | 鵜飼 孝造 |
タイトル | 悪のイメージを持つヤクザ ―映画に見る時代と共に変化してきたヤクザ像― |
内容 | ヤクザのイメージとはどのようなものか。私は現代のヤクザに関して暴力行為、麻薬の取引、高金利の金融業等と様々な犯罪に近い事を行う集団だと思っていた。そして近年に見た北野武の映画「アウトレイジ」からもヤクザは悪な存在だと映画を通して改めて実感した。しかし本当にその姿だけがヤクザの本性をあらわそうとしているのだろうか。そう感じた理由には任侠系と呼ばれるジャンルのヤクザ映画を見たからである。その映画での人物像は義理や人情を大事にする一人の男を対象としていて、組織で動くヤクザではなかった。私はここで一つの仮説をたてた。それは現代のヤクザ映画のヤクザを悪な存在、汚いイメージを持たせようとしているのはメディアや警察の影響があったからではないのかという事である。その仮説を検証していくにあたり、現代のヤクザ映画だけでなく1960年代の映画を取り上げ、近年に近づいていくにつれてヤクザ像の変化を調べていった。そしてその変化をもたらす要因を当時のメディア、警察との関係から検証していきたい。 |
講評 | ヤクザや暴力団という実体がはじめからあるというよりは、映画やメディアがそのイメージをつくり、それにあわせてヤクザといわれる人々が社会の中に出現したのではないだろうか。映画で「古き良き」任侠の世界が描かれている間は良かったが、「よりリアルに」描くために血で血を洗うような抗争劇が主流となり、警察とも一緒くたになると、ヤクザは急に不都合な存在になった。 任侠のイメージが映画の中から排除され、ヤクザがメディアに露出することが禁止され、徹底的に悪な存在としてのみ映画の中で生き残っている。暴対法施行前後で、「ヤクザ」のイメージの劇的変化がおこる様を、この論文は映画の歴史を追いながら抽出することに成功している。しかしながら、それは正義の実現とひきかえに、映画が表現の自由を失った歴史といえないだろうか。 |
キーワード1 | ヤクザ |
キーワード2 | 警察 |
キーワード3 | メディア |
キーワード4 | |
キーワード5 | |
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