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学科 | 社会学科 |
年度 | 2012 |
ゼミ名 | Fabio Gygi |
タイトル | 脳死・臓器移植論争の考察と展望―日本と欧米諸国の比較から― |
内容 | 脳死・臓器移植にまつわる点で議論の中心となるのは、医学的側面、それに対する反応としての倫理的哲学的側面、脳死を死とする要件といった法的側面などきわめて幅広い。そして脳死について考えるということは、私たちが非日常的で忌避すべきものとし、生ある者が不可知で不可避なものへの挑戦であるといえる。脳死が起こる以前では必ずしも厳密に議論される必要のなかった死の瞬間について、それも(自発的でないにしろ)心肺が停止していない状態について死を定義することの厳しさは日本における脳死論争と象徴されている。現在日本における臓器移植件数は欧米に比べて圧倒的に少ないながらも徐々に増加の傾向を示している。今後、この傾向が継続されるか否かに関わらず、脳死・臓器移植問題は様々な側面から議論されるべき課題である。本稿では、欧米に比して圧倒的に少ない日本の臓器移植に関して、それはどういったものによってもたらされてきたのか、そして今日、脳死・臓器移植を我々がどういった意識で捉えているのかについて日本と欧米の脳死・臓器移植問題の歴史的経緯・死生観・身体観などから明らかにすることを目的とする。 |
講評 | 今年は初めてファビオゼミから卒業者13名が出る。卒業論文のテーマは世論調査の政治的な効果から臓器移植に関する比較研究まで幅広い分野に渡る。方法 論も、エスノメソドロジーからインタビュー調査とアンケート調査を含む質的研究法が多かったが、計量的なものもあった。しかし全体的に言えるのは、議論が不十分である。優秀な出来映えの二人を除けば、全員の議論にかなり無理がある。 問題意識がはっきりしていなかったり、ただ幾つかの事例を羅列して述べているだけのものや、学術論文と言えないエッセイ的になったもの、設問と結論が微妙に一致していないもの、質的研究法で得られたデータをムリヤリに仮説検証型に押し付けるなどの失敗がよく見られた。自分で得られたデータからどんな結論を導き出せるのかという点でもかなり論理上の無理が多 かった。ギリギリ最後までに卒論を後回しにした人は、調査の醍醐味を感じたのか「もっと早くやれば良かった」と言っていた。取りかかりが遅かった点に関しては、指導教官として厳しさに欠ける面があったと反省している。 |
キーワード1 | 脳死 |
キーワード2 | 臓器移植 |
キーワード3 | 文化 |
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