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学科 | メディア学科 |
年度 | 2012 |
ゼミ名 | 柴内 康文 |
タイトル | インターネット利用態度と利用者の意見極化傾向 |
内容 | 本論文はネットの利用形態による意見極化の差を調査したものである。ネット選挙の導入によって、世論が極端な方向へシフトする懸念が指摘されている。集団分極化がネットによって加速されるためだ。しかし、主に閲覧を行う人、積極的にネット上で交流を行う人、つながりに重点を置く人などネットの使い方は人により異なる。使い方によって政治問題に対する意見の極化に差が見られるのかを調査した。その結果、ネットの利用形態による意見の極化に差は認められなかった。ネット選挙を導入した場合、ネット上で積極的に情報交換を行う利用者も、それを受動的に閲覧する利用者も意見の極化には差が発生せず、利用形態の差が世論に大きく影響することは考えづらい。一方、調査からはネット上での政治的意見の閲覧機会が多いほど極端な意見を持っていることもわかり、極化した世論を形成しないための対策はこの部分を中心に考えていけばよいことがわかった。これらのことから、議論・対策の余地はあるものの、ネット選挙は社会的議論の質を高めるものとして導入すべきとの結論に至った。 |
講評 | 試問においてそれぞれの問題について聞いたので、個別の講評は省略します。試問においては、主に二点について問うようにしました。一つは、自分自身では気づきにくいが、論文が抱えている大きな論理的欠陥についてでした。問題を明確にし、取り扱える規模に小さくしていかないと論文は完成しませんが、そのような作業の中でどうしても細かい部分にばかり目がいってしまい、大きく見たときにおかしな部分がでてきてしまうことがあります。もう一つの質問点は、論文において論証できたことをふまえて、いったいどのようなことが扱った現象、あるいは社会に対して言えるのか、ということでした。実は、この二つの問いは相互に関連しています。解明したことから、何を言おうとしているのか、それが論文を貫く太い幹、ストーリーです。この中心線を折に触れて思い出すようにすれば、細かな作業や議論をしているときも、それらの部品がどこを向いていなければいけないのか、部品間に組み合わせのおかしなところがないのか確認することができます。「木を見ている時に同時に森を思い浮かべる」ことを、これからも意識してもらえればと思います。 試問では聞きませんでしたが、加えて、全体に記述や文献の整理などに精緻さを欠いた、チェック不足の側面が見受けられました。言うまでもないですが、精緻な作業はあらゆるものの基本です。神は細部に宿ります。それを甘く見て足をすくわれることもあります。ひとまとまりの大きな仕事を終えたいま、太い幹の意識と、細かで正確な作業の重要性に改めて思いをいたしてもらえればと思います。卒論を完成させたからこそ、ここで書いている意味もわかるでしょうし、次の大きな仕事に取りかかるときに、この経験が生きることになるでしょう。 |
キーワード1 | ネット選挙 |
キーワード2 | 集団分極化 |
キーワード3 | 利用形態 |
キーワード4 | 世論 |
キーワード5 | 意見極化 |
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