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学科 産業関係学科
年度 2012
ゼミ名 三山 雅子
タイトル 教育格差についての調査及び教育格差への国の対策とその考察
内容 日本の教育格差が、バブル崩壊後の不景気によって拡大している結果、教育格差がそのまま人的資源の差となり、就職活動や生涯収入などで大きな影響を及ぼすものとなっているのではないか。本論文における教育格差とは、テスト結果などの結果の不平等と教育を受ける機会の不平等という機会の不平等という意味である。教育機会の不平等が歴史的にどのように推移してきたかを書いた上で、現在における学力テストの学校間格差を調査した結果、教育格差が起こる最大要因は家庭における収入であるということを示した。その上で、教育格差を縮めるために国がいかなる対策をとっているのかを記述し、国ができることと国の対策の問題点を書いている。国は業務評価を教師に導入したいのに対して、教師側は業務評価が意味のないことであると考えている。このような現場と国の意識の乖離が国の対策の問題点である。国の業務評価の対策が性急的であり、格差の拡大を止めるには機会の不平等を国が埋める努力をすべきではないかという考察を述べて、論文を締めくくっている。
講評  3人ほどを除いて、卒論にかける時間が圧倒的に少なすぎたと思う。就活は例年と同じく多くの人が夏休み前に終えていた。なのになぜこうも卒論に取りかかるのが遅いのか不思議であった。このように時間が足りないから、各人のテーマに即して調べるべき資料・文献に当たりきれていない人の方が多かった事は、きわめて残念である。また、ネットともに成長してきたような世代だからこそアナログデータ、つまり活字データをきちんと渉猟してほしいと思う。なぜならば、当たり前だがあらゆるデータがデジタル化されているとは限らないのである。そしてアナログデータへのアクセスはネットのように瞬時にとはいかず、時間がかかるのである。以上の二つはデータに関してである。しかし、難はこれだけではない。データに当たりきれていない場合は、往々にしてデータの分析解釈も不十分であった。別な可能性も考えられるのだが、その点について考察されておらず、ある事柄を主張する時の論理の詰めがあまいのである。どうしてこうなってしまうのか。なぜなのかと考えた時、実社会で働くことと大学で勉強することは別物であると考えているのではないかと思い当たった。しかしこれは浅はかな考えだ。確かに産業関係学科で学んだ産業関係を自己の仕事とする人は数少ないであろう。けれども、産業関係を学ぶ為に必然的に身につけた(と思いたい)調べること、調べたことに基づいて言語で論理的に表現すること――卒業論文もその一つである――は、社会に出てからこそ仕事をする上での武器として、必要とされるものであるからだ。たとえばいずれあなた達の中からも、中期経営計画の立案に携わる人達が出てくるはずである。中期経営計画は事業活動の根幹に関わるものだが、この立案自体、調べることと論理的に思考することなしにはあり得ない。そしてその結果は会社で働く人々に跳ね返ってくるという意味では、中期経営計画の立案とは血の出るものである。ちゃんとした卒論が書けないで、まともなプランが立案できるわけがないと思う。そう考えると、大学にいる今は仕事にそのまま繋がっているのである。

キーワード1 教育格差
キーワード2 家庭収入の格差
キーワード3 現場と国との意識の乖離
キーワード4 人的資本
キーワード5  
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