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学科 産業関係学科
年度 2013
ゼミ名 石田 光男
タイトル 海外と比較した日本企業における賃金制度の長所を石田光男の研究から読み解く
内容  「ブラック企業」という言葉が世間で飛び交っているが、日本企業には誇るものもあると考えた。日本企業の長所に注目し、その中でも賃金制度について検討していく。
また、日本企業の賃金制度の長所を見直すにあたって、石田光男の著書3冊を使用し、日本・アメリカ・イギリスの3カ国の比較を行った。その結果、日本の緊張は年功処遇の消しこみに伴うもので、組織内の従業員が自らの心に抱えるものであり、したがって組織に内在的で外部から攪乱されることはない体系的な制度設計であった。他方、アメリカは職務タイトル毎の市場賃金率という異物を抱え込んでおり、組織内部だけで解決しうるものではなく、賃金人事制度に外部労働市場と組織内の緊張からくる非体系性を抱えていた。イギリスはa rate for the job (仕事に一つの賃金)に代表されるような、張り合いのない賃金制度を抱えていた。以上から、日本の賃金人事制度が米英に比べてやや優れていると結論付けた。
講評  卒業論文は一人一人の言葉の正しい意味での自己紹介だと思う。「わたしはこういう人間です」「これ以上でもこれ以下でもありません、私という人間は」ということをどうしても表現することになってしまうのが言葉の本性だからである。言葉遣いの現在の到達点、それが各人の卒業論文である。
 そこからが君たちの出発である。
 いくつかのコメントをしたい。
 第一、参考文献からの引用は丁寧にということを強調した。私は正直な論文が好きだ。だから他者からの引用と自分自身の言葉とを仕分けする作業は正直な自分になる作業である。その結果、みすぼらしい自分の発見に行き着くことが多いとは言え、かすかな輝やきをたたえている自分もそこにはかならずいるはずだ。その輝きを火種にこの人生を歩むのだ。
 第二、実証的な研究であれ、文献研究であれ、自分を横に置いた論文はよくない。直ぐに反論があろう。実証研究であれば、事実に虚心に向かえば向かうほど自分などを出しようがないではないか、文献研究であれば文献の論旨を正しく追えば追うほど自分などを出しようがないではないかと。しかし、無限な事実の中からどんな事実が重要だと観るかに自分が現れるのだし、文献研究であればマル写しでない以上、自分の読み方が現れるのだ。その自分の現れ方、あるいは表し方が自分の個性であり、その説得力が自分の力量なのだ。そもそも自分を隠し続ける勉強などは面白くもないはずだ。勉強は打算でやるのではなくて面白いからやるのだ、ということをわかって卒業して欲しい。
 第三、研究(勉強)と社会での仕事の関係。研究(勉強)は卒業で終わり、4月からは仕事という別世界だという理解は浅はかである。仕事を始めてみて本当の勉強が始まったと先輩たちは言う。実は地続きなのだ。全く二つの世界が別物であれば、いいですか、大学での勉強は無用だということになる。その気配が濃厚に漂っているのが現代日本ではあるけれど。仕事には実践が伴うが、勉強には認識という脳細胞の活動はあっても実践が伴わないという区分が先の言明の根拠になっているが、認識と実践とはさほど機械的に区分できない。「こう考える」、だからこうしてみようというように地続きになっているのは自明ではないか。偽りのない自分の到達点としての卒業論文を直視して、そこから自らの研鑽を積み上げていって欲しい。
キーワード1 賃金制度
キーワード2 等級制度
キーワード3 成果主義
キーワード4 部門業績管理
キーワード5 a rate for the job
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