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学科 産業関係学科
年度 2013
ゼミ名 三山 雅子
タイトル スペインの労働を通して見る日本の労働
内容  私は、去年、経済危機中のスペインへ留学していた。そこで、スペイン人の勤務態度や、休みが多い文化に触れたのだが、果たして、スペイン人は本当に働いていないのであろうか、また、日本人は働きすぎなのではないか、という疑問が浮かんだ。 
 OECDなどのデータによると、スペインの労働時間は、他国と比べて短いという結果は得られなかった。しかしながら、日本は主要先進国の中では最も労働時間が長いことがわかった。この原因を探ってみると、1人当たりの所定外労働の長さよりも、所定外労働、長時間労働を強いられている労働者の割合が、他国に比べて高いことが一因のようだった。さらに、その所定外労働をする理由を見てみると、主に、「所定内に終わる仕事量ではない。」、「要員不足」という2点があげられた。 
 こういった背景もあり、日本は諸外国に比べ、労働生産性が極めて低い。その解決には、雇用者数を増やし、時短を図り、労働の効率をあげることが最善である。しかし、企業にとっては、その動きは短期的に見ると損失である。その一方で、長期的に見れば、労働者個人レベル、企業レベル、国家レベルにおいても、プラスに働くことは明白であるため、時短への動きは進められるべきである。
講評  介護現場への外国人労働者の受け入れ、日本に適した成果主義とは、日本農業とTPP、過労死や長時間労働、教育格差、児童虐待と貧困保育サービスの拡充と保育士の労働、中国の人事システム、大学教育の質向上と構造改革等、今年も卒論のテーマはさまざまであった。テーマはさまざまであるけれど、どの卒論も書いた学生にとっては、そのテーマを選ぶ必然性があるものである事は、卒論授業を通して感じていた。つまりゼミ生の今という時代に対するアンテナは確かに鋭敏なのである。
 しかし、必然的に掲げられたテーマについてどれだけ迫り得たかというと、やはり今年も二極分化していたと思う。毎年、私のゼミではEVE前に卒論の草稿を提出してもらう。その時点で、ネットに漂っている情報を適当にまとめて卒論にしたものとある程度文献にあたって、文献と格闘しながら書いたものに分かれていた。つまり卒論にかけた時間が全く違っていた。つまり、テーマに対する本気度が異なっているように見受けられた。
 なぜこうなってしまうのか。それはやはり学ぶという事に対する浅薄な理解の故ではないかと思う。これは、つまりはそのようなゼミの時間しか皆さんと共有できなかった私の自戒にも他ならないのだが、学ぶことは各種の試験を突破するためであって、どうも働き生きていくこの自分とは無関係と思われているように見える。しかし、学ぶ事は働き生きていく上での最大の武器なのだ。
 皆さんが卒論に取り組み始めた頃に、3年ほど前に卒業したゼミ生が訪ねて来てくれた。彼が担当しているのは京都の中心部の再開発である。中心部の再活性化には女の人がとにかく来てくれる、住んでくれる町にしなければいけないが、なにかそのヒントになる事はないかだろうかといって、会いに来てくれたのだ。その時、彼は手ぶらで来たのではなかった。自分なりに調べたデータをまとめたレジュメを手に現れた。彼が言うには、町の開発には感性が必要であることは間違いないけど、これだっという感覚を説得的に他者に伝えるには論理、つまりデータが必要不可欠だからだそうだ。
 彼の作ったレジュメをみた時、産業関係実習での発表と似たことをしているのだと思った。もちろん単なる発表ではない。それによって組織が動き、お金が投下され、事実として町が変わる。そういう意味では学校の勉強とは違う。しかし、そこで彼が使用している手法は間違いなく大学で身につけた事と重なっていた。
 
キーワード1 労働時間
キーワード2 労働生産性
キーワード3 時短
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