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学科 | 産業関係学科 |
年度 | 2013 |
ゼミ名 | 三山 雅子 |
タイトル | 中小企業のベトナム展開 |
内容 | 「グローバル化」という言葉をよく耳にする現代社会で、日本企業も今までの国内での事業だけに力を入れていると他国の企業に大きな差を付けられるだろう。少子高齢化が問題視されている日本の現状は決して良いものではない。今の日本の現状を考えると、国内で事業を拡大させることより、海外でより大きなマーケットを見つけ出し、業績を伸ばす方が企業の存続に繋がると考えることは正しい選択なのかもしれない。本稿では、日本企業の中でも大多数を占める中小企業の海外展開について、データを用いて分析した。大企業に比べ、中小企業は企業体力もなく、海外展開は企業存続の大きな分岐点になるだろう。展開先としてベトナムに目を向け、人口や地域、人柄などベトナムの魅力やビジネスにおいてのメリット、デメリットを調べた。また、実際に日本企業がベトナムへの展開をするにあたって、仕事の進め方やベトナム人と信頼関係を築くために気を付けなければならないことも述べている。研究結果から、ベトナムの将来の可能性について考えた。 |
講評 | 介護現場への外国人労働者の受け入れ、日本に適した成果主義とは、日本農業とTPP、過労死や長時間労働、教育格差、児童虐待と貧困保育サービスの拡充と保育士の労働、中国の人事システム、大学教育の質向上と構造改革等、今年も卒論のテーマはさまざまであった。テーマはさまざまであるけれど、どの卒論も書いた学生にとっては、そのテーマを選ぶ必然性があるものである事は、卒論授業を通して感じていた。つまりゼミ生の今という時代に対するアンテナは確かに鋭敏なのである。 しかし、必然的に掲げられたテーマについてどれだけ迫り得たかというと、やはり今年も二極分化していたと思う。毎年、私のゼミではEVE前に卒論の草稿を提出してもらう。その時点で、ネットに漂っている情報を適当にまとめて卒論にしたものとある程度文献にあたって、文献と格闘しながら書いたものに分かれていた。つまり卒論にかけた時間が全く違っていた。つまり、テーマに対する本気度が異なっているように見受けられた。 なぜこうなってしまうのか。それはやはり学ぶという事に対する浅薄な理解の故ではないかと思う。これは、つまりはそのようなゼミの時間しか皆さんと共有できなかった私の自戒にも他ならないのだが、学ぶことは各種の試験を突破するためであって、どうも働き生きていくこの自分とは無関係と思われているように見える。しかし、学ぶ事は働き生きていく上での最大の武器なのだ。 皆さんが卒論に取り組み始めた頃に、3年ほど前に卒業したゼミ生が訪ねて来てくれた。彼が担当しているのは京都の中心部の再開発である。中心部の再活性化には女の人がとにかく来てくれる、住んでくれる町にしなければいけないが、なにかそのヒントになる事はないかだろうかといって、会いに来てくれたのだ。その時、彼は手ぶらで来たのではなかった。自分なりに調べたデータをまとめたレジュメを手に現れた。彼が言うには、町の開発には感性が必要であることは間違いないけど、これだっという感覚を説得的に他者に伝えるには論理、つまりデータが必要不可欠だからだそうだ。 彼の作ったレジュメをみた時、産業関係実習での発表と似たことをしているのだと思った。もちろん単なる発表ではない。それによって組織が動き、お金が投下され、事実として町が変わる。そういう意味では学校の勉強とは違う。しかし、そこで彼が使用している手法は間違いなく大学で身につけた事と重なっていた。 |
キーワード1 | グローバル化 |
キーワード2 | 少子高齢化 |
キーワード3 | 東南アジア日越投資協定 |
キーワード4 | |
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