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学科 産業関係学科
年度 2013
ゼミ名 三山 雅子
タイトル 大学教育の質向上と国立大学の構造改革
内容  21世紀初頭に行われた構造改革によって国立大学を取り巻く環境は大きく変化した。かつて国の機関であった国立大学は独立して経営責任を負う国立大学法人となり、また国から交付される運営資金は教育や研究の業績に応じて国立大学間で傾斜配分されることとなった。この改革は、「護送船団方式」により国によって存続を保障されていた戦後の国立大学に対する批判を受けてなされたものである。
 しかしこの改革にはいくつかの疑問点が残る。特に私は発展的な研究の基礎育成であり、また人が社会を構築するために必要な能力の育成を行うものでもある大学教育に対して、国立大学の構造改革はどのような影響を与えるのかについて疑問を抱いた。そこで本論文においては大学教育の意義と内容について定義した上で、国立大学の構造改革の内容と改革が行われるまでの歴史、そして現在までに主張されている改革の問題点について述べた。そして戦後日本の大学制度のモデル国となったアメリカの大学教育と日本の大学教育を比べることで、大学教育の質的向上について考察した。その結果、構造改革の中でも国立大学の法人化は教育の質向上に繋がるが、運営費交付金削減と業績評価による資金配分は質向上には繋がらないのではないか、また法人化のメリットを活かすためにも国は教育機関に対する公的支出の増加を検討すべきではという結論に至った。
講評  介護現場への外国人労働者の受け入れ、日本に適した成果主義とは、日本農業とTPP、過労死や長時間労働、教育格差、児童虐待と貧困保育サービスの拡充と保育士の労働、中国の人事システム、大学教育の質向上と構造改革等、今年も卒論のテーマはさまざまであった。テーマはさまざまであるけれど、どの卒論も書いた学生にとっては、そのテーマを選ぶ必然性があるものである事は、卒論授業を通して感じていた。つまりゼミ生の今という時代に対するアンテナは確かに鋭敏なのである。
 しかし、必然的に掲げられたテーマについてどれだけ迫り得たかというと、やはり今年も二極分化していたと思う。毎年、私のゼミではEVE前に卒論の草稿を提出してもらう。その時点で、ネットに漂っている情報を適当にまとめて卒論にしたものとある程度文献にあたって、文献と格闘しながら書いたものに分かれていた。つまり卒論にかけた時間が全く違っていた。つまり、テーマに対する本気度が異なっているように見受けられた。
 なぜこうなってしまうのか。それはやはり学ぶという事に対する浅薄な理解の故ではないかと思う。これは、つまりはそのようなゼミの時間しか皆さんと共有できなかった私の自戒にも他ならないのだが、学ぶことは各種の試験を突破するためであって、どうも働き生きていくこの自分とは無関係と思われているように見える。しかし、学ぶ事は働き生きていく上での最大の武器なのだ。
 皆さんが卒論に取り組み始めた頃に、3年ほど前に卒業したゼミ生が訪ねて来てくれた。彼が担当しているのは京都の中心部の再開発である。中心部の再活性化には女の人がとにかく来てくれる、住んでくれる町にしなければいけないが、なにかそのヒントになる事はないかだろうかといって、会いに来てくれたのだ。その時、彼は手ぶらで来たのではなかった。自分なりに調べたデータをまとめたレジュメを手に現れた。彼が言うには、町の開発には感性が必要であることは間違いないけど、これだっという感覚を説得的に他者に伝えるには論理、つまりデータが必要不可欠だからだそうだ。
 彼の作ったレジュメをみた時、産業関係実習での発表と似たことをしているのだと思った。もちろん単なる発表ではない。それによって組織が動き、お金が投下され、事実として町が変わる。そういう意味では学校の勉強とは違う。しかし、そこで彼が使用している手法は間違いなく大学で身につけた事と重なっていた。
 
キーワード1 遠山プラン
キーワード2 大学教育
キーワード3 護送船団方式
キーワード4 国立大学の法人化
キーワード5 業績評価
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