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学科 | 産業関係学科 |
年度 | 2013 |
ゼミ名 | 三山 雅子 |
タイトル | 保育サービス拡充に向けた保育所の労働整備について |
内容 | わが国では「待機児童ゼロ」が目標に掲げられ、待機児童問題を解消するために様々な政策が検討されている。女性就業の増進や少子化への歯止めをかけるためにも、「待機児童ゼロ」に向けた保育制度改革は重要な役割を担っており、保育制度改革は最も急がれる改革の一つであるだろう。しかし、保育制度改革によって保育の受け皿を増やそうとする一方、保育制度改革によって保育士の労働がどの様な影響を受けるのか、保育士の労働環境については議論があまり行われていないように思われる。保育所において保育を行うのは保育士であり、保育士の労働環境が保育の質に影響を与えることは明らかである。ゆえに、保育士の労働環境も重視しなければならないものであるといえるだろう。しかし、行われようとしている保育制度改革は、より保育所に負担がかかる制度であり、保育士の労働がさらに厳しくなると予想される。我々が目指すべき保育は、保育士に負担のかかった制度ではなく、「政府」「企業」「家庭」などそれぞれが子育ての義務を果たして社会全体で協力するバランスの取れた保育制度である。 |
講評 | 介護現場への外国人労働者の受け入れ、日本に適した成果主義とは、日本農業とTPP、過労死や長時間労働、教育格差、児童虐待と貧困保育サービスの拡充と保育士の労働、中国の人事システム、大学教育の質向上と構造改革等、今年も卒論のテーマはさまざまであった。テーマはさまざまであるけれど、どの卒論も書いた学生にとっては、そのテーマを選ぶ必然性があるものである事は、卒論授業を通して感じていた。つまりゼミ生の今という時代に対するアンテナは確かに鋭敏なのである。 しかし、必然的に掲げられたテーマについてどれだけ迫り得たかというと、やはり今年も二極分化していたと思う。毎年、私のゼミではEVE前に卒論の草稿を提出してもらう。その時点で、ネットに漂っている情報を適当にまとめて卒論にしたものとある程度文献にあたって、文献と格闘しながら書いたものに分かれていた。つまり卒論にかけた時間が全く違っていた。つまり、テーマに対する本気度が異なっているように見受けられた。 なぜこうなってしまうのか。それはやはり学ぶという事に対する浅薄な理解の故ではないかと思う。これは、つまりはそのようなゼミの時間しか皆さんと共有できなかった私の自戒にも他ならないのだが、学ぶことは各種の試験を突破するためであって、どうも働き生きていくこの自分とは無関係と思われているように見える。しかし、学ぶ事は働き生きていく上での最大の武器なのだ。 皆さんが卒論に取り組み始めた頃に、3年ほど前に卒業したゼミ生が訪ねて来てくれた。彼が担当しているのは京都の中心部の再開発である。中心部の再活性化には女の人がとにかく来てくれる、住んでくれる町にしなければいけないが、なにかそのヒントになる事はないかだろうかといって、会いに来てくれたのだ。その時、彼は手ぶらで来たのではなかった。自分なりに調べたデータをまとめたレジュメを手に現れた。彼が言うには、町の開発には感性が必要であることは間違いないけど、これだっという感覚を説得的に他者に伝えるには論理、つまりデータが必要不可欠だからだそうだ。 彼の作ったレジュメをみた時、産業関係実習での発表と似たことをしているのだと思った。もちろん単なる発表ではない。それによって組織が動き、お金が投下され、事実として町が変わる。そういう意味では学校の勉強とは違う。しかし、そこで彼が使用している手法は間違いなく大学で身につけた事と重なっていた。 |
キーワード1 | 保育制度改革 |
キーワード2 | 保育所 |
キーワード3 | 女性就業 |
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