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学科 | 教育文化学科 |
年度 | 2013 |
ゼミ名 | 沖田 行司 |
タイトル | 雨森芳洲の異文化理解とその教育 ―誠信外交をめぐって― |
内容 | 異文化間における相互理解は、グローバル化した現代社会において大きな課題である。今からおおよそ三五〇年前、現在の滋賀県に生まれた雨森芳洲は、江戸時代において日本と朝鮮との外交の実際に関わり、異文化の理解を提唱した儒者の一人であった。 芳洲は、対馬藩の藩儒として朝鮮方佐役に任じられ、日本と朝鮮の交流と交易を支えた。当時、中国、朝鮮、日本における交易は漢文を使った文書で行われていた。その為、朝鮮・中国との交流には漢文の深い知識は不可欠であった。中国語会話の必要性を感じた芳洲は、長崎への遊学で中国語会話を学んだ。 対馬へ出仕後には、朝鮮方佐役という職を通して日本と朝鮮との外交において、朝鮮で現地の人々が話す朝鮮語の重要さを痛感し釜山へ留学した。現地で用いられている言葉を学んだ芳洲は、釜山留学を通して外交に必要な誠信の心を学んだ。本論文では、芳洲の誠信外交に対する理解を通して異文化間理解を考察した。 |
講評 | テーマ設定と取り組みが早かったが、政治史と外交史の知識を必要としたためかなり苦労して仕上げた。 |
キーワード1 | 雨森芳洲 |
キーワード2 | 誠信外交 |
キーワード3 | 朝鮮外交 |
キーワード4 | 対馬藩儒 |
キーワード5 | 新井白石 |
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