詳細 | |
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学科 | 教育文化学科 |
年度 | 2013 |
ゼミ名 | 越水 雄二 |
タイトル | 『君主論』に説かれた理想 |
内容 | マキアヴェリズム(目的のためには手段を選ばない)と悪評を得るマキアヴェッリ(1469-1527)。そのような悪評を得た背景には、『君主論』(1513)がある。本稿では、マキアヴェッリが『君主論』を執筆するまでの半生と、当時の時代背景を読み解くことでマキアヴェッリが得る悪評が妥当なものなのか、また現代人が抱く虚像であるのか考察する。そして、悪評の根源である『君主論』の後半部分である「君主が持つ理想の資質」も加えて考察する。また『君主論』は、現代においても人の上に立つ者のバイブル書として扱われている側面がある。しかし、『君主論』が執筆されたのは、絶え間ない戦争、さまざまな思惑が混雑するルネサンス期である。当然、その内容は当時の時代状況の制約を受け、現代とは時代背景が異なる。そこで、現代人が『君主論』を読み、そのような時代状況の制約を超えて学ぶべきことは何なのかを本稿で結論付けている。 |
講評 | 今年度、「西洋教育文化ゼミ」で2万字の卒業論文に取り組んだ学生は16名でした。各自の興味関心から出発して設定された研究テーマはバラエティに富んでいます。同時に、対象地域を見れば、フィンランドとスペインが3名ずつでイギリスが4名という重なりがあり、また、著名な思想家と画家に2名ずつが取り組み、西洋人の日本人観と動物観がテーマにされたように、研究内容に共通性をもつ仲間がゼミ内に少なくとも1名ずつはいたことが、意外さも感じられた今年度の傾向として指摘できるでしょう。どのテーマも私自身にも興味深く、筆者の個性が発揮される力作を期待していました。しかし率直に言って、それぞれ就職活動、教員採用試験や公務員試験に備えた受験勉強、ボランティアやサークル活動などにも相当の時間とエネルギーを注がねばならなかった結果からか、研究をあまり深められないまま、かつ、文章も十分推敲しない状態で提出された卒論が例年よりも多かった事実を、残念ながら私は認めざるをえません。指導が至らなかった点を反省しています。これは、「要求水準を満たさない卒論が多い」と不満を言っているのではありません。自己評価も他者からの評価も別にして、つまり内容の出来はともかく、「自分が持つ力は卒論に十分注ぎ込んだ」と何名が振り返られるでしょうか。そう言えるような取り組みを皆さんへ促す雰囲気をゼミに醸成できなかったのは、本当に申し訳なく、悲しいことです。とはいえ、ひとりひとりにとって、自分が知りたい事柄を調べて考え、ゼミでの報告と議論も重ねつつ、最終段階では仲間と原稿を読み合い検討もして卒業論文を完成させた経験は、大学生活の思い出として記憶されるだけではなく、今後の生活や仕事の中での学びにも活かされていくように祈っています。最後に、今年度もゼミ生の報告と論文から、私は多くを学ばせてもらいました。上記の反省と共に、皆さんへの感謝も忘れません。(2014年1月17日 越水雄二) |
キーワード1 | マキアヴェッリ |
キーワード2 | 『君主論』 |
キーワード3 | 現代人が抱く虚像 |
キーワード4 | 理想の君主とは |
キーワード5 | 『君主論』を読む現代人への示唆 |
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