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学科 産業関係学科
年度 2014
ゼミ名 石田 光男
タイトル 携帯電話業界リサーチ
内容 携帯電話は発売されて30年程度であるが、急激に進化してきた機器であり、現代の人にとってなくてはならない存在となっている。この論文ではそんな携帯電話業界について調査している。第一章では携帯電話業界の基本的な仕組みや、大手通信事業者3社の現在に至るまでの編成の歴史などについて書いてある。また、日本と外国のビジネスモデルの違いや世界の携帯電話産業についても言及している。第二章では現在の市場動向について書いてある。NTTドコモのシェアが減少しており、ソフトバンクモバイル、KDDIが台頭してきた現在の大手3社のシェアや、各社の新しい料金設定を調べて、市場の現状分析をしている。そして、なぜ通信事業者の勢力図が変化してきたのかを書いている。第三章ではソフトバンクモバイルによる海外への事業展開や、SIMロックの解除による携帯電話業界への企業の参入によって、これからの携帯電話業界がどのように変化していくのか考えている。そして、最後に携帯電話のもつ可能性で締めくくっている。
講評 卒業論文は一人一人の言葉の正しい意味での自己紹介だと思う。「わたしはこういう人間です」「これ以上でもこれ以下でもありません、私という人間は」ということをどうしても表現することになってしまうのが言葉の本性だからである。言葉遣いの現在の到達点、それが各人の卒業論文である。
そこからが君たちの出発である。
いくつかのコメントをしたい。
第一、参考文献からの引用は丁寧にということを強調した。私は正直な論文が好きだ。だから他者からの引用と自分自身の言葉とを仕分けする作業は正直な自分になる作業である。その結果、みすぼらしい自分の発見に行き着くことが多いとは言え、かすかな輝やきをたたえている自分もそこにはかならずいるはずだ。その輝きを火種にこの人生を歩むのだ。
第二、実証的な研究であれ、文献研究であれ、自分を横に置いた論文はよくない。直ぐに反論があろう。実証研究であれば、事実に虚心に向かえば向かうほど自分などを出しようがないではないか、文献研究であれば文献の論旨を正しく追えば追うほど自分などを出しようがないではないかと。しかし、無限な事実の中からどんな事実が重要だと観るかに自分が現れるのだし、文献研究であればマル写しでない以上、自分の読み方が現れるのだ。その自分の現れ方、あるいは表し方が自分の個性であり、その説得力が自分の力量なのだ。そもそも自分を隠し続ける勉強などは面白くもないはずだ。勉強は打算でやるのではなくて面白いからやるのだ、ということをわかって卒業して欲しい。
第三、研究(勉強)と社会での仕事の関係。研究(勉強)は卒業でお終い、4月からは仕事という別世界だという理解は浅はかである。仕事を始めてみて本当の勉強が始まったと先輩たちは言う。実は地続きなのだ。全く二つの世界が別物であれば、いいですか、大学での勉強は無用だということになる。その気配が濃厚に漂っているのが現代日本ではあるけれど。仕事には実践が伴うが、勉強には認識という脳細胞の活動はあっても実践が伴わないという区分が先の言明の根拠になっているが、認識と実践とはさほど機械的に区分できない。「こう考える」、だからこうしてみようというように地続きになっている。
 偽りのない自分の到達点としての卒業論文を直視して、そこから自らの研鑽を積み上げていって欲しい。
 
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