詳細
学科 産業関係学科
年度 2014
ゼミ名 石田 光男
タイトル 就職難の現在は、キャリア教育の重要性
内容 近年、大卒の就職難がしばしば議論されている。1990年代から日本は就職氷河期と言われる。就職率、無職率、三年離職率の高さからみると、日本の就職状況は厳しい。特に、小学校から大学まで、16年間の教育を受ける大卒について、長い時間をかけて、就職できなかったら、悲惨なことと考える。就職氷河期とグローバル化の結果、厳しい就職環境へ変化している。正規労働者の他に、非正規労働者が増えてきたということである。非正規雇用の長時間労働や雇用不安と、大卒の高い離職率と多くのフリーターは、日本政府を解決するはずの問題である。就職難の現状を分析して、現在の社会は需要な人材を紹介している。それから見ると、キャリア教育の重要性を現れる。本論文は大学のキャリア教育について、大学がもっと責任を持つべきで、キャリア教育を推進すべきであると考える。従って、本論文は大学のキャリア教育について、大学輪側と政府側と企業側の連携も増やすべきであると考える
講評 卒業論文は一人一人の言葉の正しい意味での自己紹介だと思う。「わたしはこういう人間です」「これ以上でもこれ以下でもありません、私という人間は」ということをどうしても表現することになってしまうのが言葉の本性だからである。言葉遣いの現在の到達点、それが各人の卒業論文である。
そこからが君たちの出発である。
いくつかのコメントをしたい。
第一、参考文献からの引用は丁寧にということを強調した。私は正直な論文が好きだ。だから他者からの引用と自分自身の言葉とを仕分けする作業は正直な自分になる作業である。その結果、みすぼらしい自分の発見に行き着くことが多いとは言え、かすかな輝やきをたたえている自分もそこにはかならずいるはずだ。その輝きを火種にこの人生を歩むのだ。
第二、実証的な研究であれ、文献研究であれ、自分を横に置いた論文はよくない。直ぐに反論があろう。実証研究であれば、事実に虚心に向かえば向かうほど自分などを出しようがないではないか、文献研究であれば文献の論旨を正しく追えば追うほど自分などを出しようがないではないかと。しかし、無限な事実の中からどんな事実が重要だと観るかに自分が現れるのだし、文献研究であればマル写しでない以上、自分の読み方が現れるのだ。その自分の現れ方、あるいは表し方が自分の個性であり、その説得力が自分の力量なのだ。そもそも自分を隠し続ける勉強などは面白くもないはずだ。勉強は打算でやるのではなくて面白いからやるのだ、ということをわかって卒業して欲しい。
第三、研究(勉強)と社会での仕事の関係。研究(勉強)は卒業でお終い、4月からは仕事という別世界だという理解は浅はかである。仕事を始めてみて本当の勉強が始まったと先輩たちは言う。実は地続きなのだ。全く二つの世界が別物であれば、いいですか、大学での勉強は無用だということになる。その気配が濃厚に漂っているのが現代日本ではあるけれど。仕事には実践が伴うが、勉強には認識という脳細胞の活動はあっても実践が伴わないという区分が先の言明の根拠になっているが、認識と実践とはさほど機械的に区分できない。「こう考える」、だからこうしてみようというように地続きになっている。
 偽りのない自分の到達点としての卒業論文を直視して、そこから自らの研鑽を積み上げていって欲しい。
 
キーワード1 大学キャリア教育
キーワード2 就職率
キーワード3 人材
キーワード4 就職観
キーワード5  
戻 る
Copyright (C) Doshisha University All Rights Reserved.