詳細 | |
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学科 | 社会学科 |
年度 | 2015 |
ゼミ名 | 森川 眞規雄 |
タイトル | 死は本当にタブーから解放されたのか |
内容 | かつて宗教秩序が支配的だった時代は、死は宗教により意味が付与され、共同体によって受容されていた。しかし、モダン以降の合理主義の時代に宗教による意味づけは失効してしまい、人々は死の意味付けを喪失してしまった。結果、人々は個人で死と対峙しなければならなくなり、死を公的領域で扱うことを忌避するようになった。こうした社会を、死をタブー視する社会という。時代が変わり、プレモダン、ポストモダン期に人々が自分らしい死を望む死の自己決定権の動きが高まる中で、公的領域で死について扱われる頻度は増していく。この状況を指して、死はタブーから解放されたという意見がある。確かに、個人が思い描く自由な死が尊重される結果になったが、選択の多様性が増したことにより、一層他の人の死に対して関わりを持つことはデリケートな 問題になってしまった。その状況では忌避の態度が無くなったとは言えないため、依然として死をタブー視する社会であると考えられる。 |
講評 | 死のタブー視についての社会学的考察である。筆者は比較的丁寧に先行研究を検討し、独自な考察を加え、タブー視は現在も継続されていると結論づけている。考察に多少飛躍がみられるが、全体としてはまじめな論文となっている。 |
キーワード1 | 死のタブー視 |
キーワード2 | 死の自己決定権 |
キーワード3 | 共同体 |
キーワード4 | |
キーワード5 | |
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