詳細 | |
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学科 | 産業関係学科 |
年度 | 2015 |
ゼミ名 | 石田 光男 |
タイトル | グローバル化による外国人労働者の受け入れ |
内容 | なぜ私がこのテーマについて論文を書こうと思った理由であるが、私が初めて外国人とかかわったのが小学生3年生の時に、母がオーストラリア人の女性をホームステイとして家に招き入れた時であった。その時は、まったく英語教育も受けておらず会話もうまくできなかったが、話そうと努力していくうちに楽しくなっていき、英語という言語に引き込まれていったのがきっかけである。 それから、公文式に通い英語を学び始めて、文法や単語を身に着けていくにつれて、今度は自分が海外に行ってみたいと思うようになった。 そして、小学生のころも何度か家族で海外旅行はしたことあるが、大学生になって初めて自分一人で短期を経験させてもらった。そこでいろいろな国籍の人と話す機会もあり、その人の国の経済状況や雇用状況も聞いたりした。そこで、私が実感したのが発展途上国での貧富の格差である。ここ最近では東南アジアの経済が格段に成長して、日本に寛講師に来る人も増えているが、その人たちは富裕層のほんの一部で、実際はまだまだ貧困の人の方の割合がかなり多いという事も聞いた。 そこで、海外にも興味がある島他産業関係を大学で学んでいるという事もあり、昨今増えている日本で働く外国人労働者が受け入れられているようになった歴史、また現在の外国人労働者が受け入れられているのかを調べたいと思い、このような論文を書いた。 まだまだ理解が浅く、わかりづらい場面もあるかもしれないが、最後まで読んでいただけると光栄である。 |
講評 | 全体の講評:卒論は大学での勉強の総決算であるから、日ごろの勉学の質が問われる。全体に3・4年でのゼミでの勉強が、すべて私の責任であるが、不徹底で、何とか形式を整えたものがいくつか散見される。とはいえ、下記の卒論は評価すべき努力の産物である。 「アンドルー・ゴードンから見る日本労使関係」は、難しい方法的問題に直面しつつ、よく粘った論文である。難しさは、アンドルー・ゴードンの『日本労使関係史』のような、史実に基づいた手堅い歴史的実証研究を跡付けながら、なおかつ実証的裏づけを持ちえない自身の意見や批判をどのように表現すべきかという問題である。ただ単にその本の要約では物足りない、かといって実証的に反論する材料を事欠き、かつ反論の論拠は石田仕事論に依拠せざるを得ない弱点の自覚の中で、何とか今の力量の範囲でまじめに取り組んだことを高く評価したい。 「人生哲学を踏み台にして」は、難解な福田恒存の『芸術とはなにか』と『人間・この劇的なるもの』をよく読み、どのように理解したかを丁寧に述べた論文である。一見、産業関係とは無縁なテーマであるが、社会科学の失いつつある人間学としての本質を回復する必要という文脈におきなおして考えれば、適切なテーマである。この真摯な勉強により、産業関係学も哲学であるとまで言い切れる理解につながっている力作である。 「日本の音楽産業」は、そのビジネスとして変容を克明に描いた石田仕事論の系譜に属する好論文である。執筆者の音楽への情熱が書かせた作品である。 |
キーワード1 | 外国人労働者 |
キーワード2 | 低賃金 |
キーワード3 | 人件費 |
キーワード4 | |
キーワード5 | |
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