詳細 | |
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学科 | 産業関係学科 |
年度 | 2015 |
ゼミ名 | 石田 光男 |
タイトル | アスリートとして生きるということ |
内容 | 私はこれまでの人生で15年間野球を続けてきた。その中で最も影響を受けてきたのがスポーツの世界で活用するアスリートたちである。 この卒業論文ではまず、外国からもたらされたスポーツである野球とサッカーがなぜここまで日本に浸透しプロスポーツとして成り立っているのか、そのルーツに関して調査している。 次にこの論文の核となるセカンドキャリアについてである。プロスポーツ選手、また実業団に所属する選手など、様々な形でスポーツをすることが生活の主体になっている人たちがいる。そういった人たちは、例えばけがや身体的限界、戦力外通告などでそのスポーツを引退せざるを得なくなった時、そのようなセカンドキャリアを歩むのか、またその選択肢などを調査しまとめている。 最後に、アマチュアながら小学生から大学まで本気で野球に取り組み続けた私自身の経験を踏まえて、私にとってスポーツがどのようなものであったか、アスリートとして生きていくことについて考えていることを述べた。 |
講評 | 全体の講評:卒論は大学での勉強の総決算であるから、日ごろの勉学の質が問われる。全体に3・4年でのゼミでの勉強が、すべて私の責任であるが、不徹底で、何とか形式を整えたものがいくつか散見される。とはいえ、下記の卒論は評価すべき努力の産物である。 「アンドルー・ゴードンから見る日本労使関係」は、難しい方法的問題に直面しつつ、よく粘った論文である。難しさは、アンドルー・ゴードンの『日本労使関係史』のような、史実に基づいた手堅い歴史的実証研究を跡付けながら、なおかつ実証的裏づけを持ちえない自身の意見や批判をどのように表現すべきかという問題である。ただ単にその本の要約では物足りない、かといって実証的に反論する材料を事欠き、かつ反論の論拠は石田仕事論に依拠せざるを得ない弱点の自覚の中で、何とか今の力量の範囲でまじめに取り組んだことを高く評価したい。 「人生哲学を踏み台にして」は、難解な福田恒存の『芸術とはなにか』と『人間・この劇的なるもの』をよく読み、どのように理解したかを丁寧に述べた論文である。一見、産業関係とは無縁なテーマであるが、社会科学の失いつつある人間学としての本質を回復する必要という文脈におきなおして考えれば、適切なテーマである。この真摯な勉強により、産業関係学も哲学であるとまで言い切れる理解につながっている力作である。 「日本の音楽産業」は、そのビジネスとして変容を克明に描いた石田仕事論の系譜に属する好論文である。執筆者の音楽への情熱が書かせた作品である。 |
キーワード1 | アスリート |
キーワード2 | セカンドキャリア |
キーワード3 | 選択肢 |
キーワード4 | 自分のため |
キーワード5 | |
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