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学科 | 社会福祉学科 |
年度 | 2016 |
ゼミ名 | 木原 活信 |
タイトル | 親が子どもの不登校を受容するために―親に対する支援の視点から― |
内容 | 不登校の子どもに対してかつてより世間は寛容になり、不登校支援も充実してきているが、親はいざ自分の子どもが不登校になると簡単には受容できない。しかし、それだと子どもは学校にも家庭にも居場所を見つけられず、追い詰められてしまう。何よりも、不登校の解決のためには家庭で不登校が受容されなければならない。そこで本研究は、親の不登校への意識の変化過程に着目し、何がきっかけで子どもの不登校を受容しようという意識の変化につながるのかを調査した。その結果、親が不登校を受容するには、不登校の知識がないまま、子どもが学校に行かないことに焦り、一人で問題を抱えて混乱している状況から抜け出すことが重要であることが分かった。そのためにも、同じ立場にある人たちという存在に支えられながら、その人たちの経験から学び合う場が必要であり、早い段階から親がその機会を得ることができるようにより一層の支援をしていくことが必要である。 |
講評 | テーマ設定は自ら考えるというのが僕の方針である。それは、テーマを自ら発見し、それを探求する過程こそ研究の第一歩であり、そこに重要な意義があると考えるからである。その意味では、今年も各自よくテーマを自分なりに模索しつつ、よく練られたテーマを考えたと思う。その結果、上記に記すようなテーマとなった。 今年の卒論は、精神障害、発達障害、知的障害、児童・高齢者虐待、高齢者の介護問題、認知症のケア、依存症、ひきこもり、不登校、家族問題、犯罪などというキーワードが浮かびあがってくるように極めて現代的な福祉の重要課題に基づくテーマとなっている。それぞれが社会福祉学を学ぶにあたっての集大成として、これらのテーマと必然的に出会ったようであったが、鋭い問題意識をもってユニークな研究テーマに取り組めたと思う。 テーマ設定にはその時代を色濃く反映してその解決を模索したものが多いが、社会福祉学の場合、たまに学生の自らの青年期の課題を生きるために苦悩しつつ、それを必死で言語化している場合も散見される。歴史学者の阿部謹也氏が言うところの「自分のなかに歴史を読む」ということであろう。これを機にそれらの問題を更に突き止めていってもらいたいが、仮にもテーマそのものが自らの個人体験的課題に直結するのであれば、この卒論の論文執筆を通して、その問題から「解放」された自由人になることも切望したい。 ところで、テーマに付随する先行研究を整理するのには手間と時間がかかる。これに苦労してなかなか前に進まなかったものもあったが、これを丹念に進められたかどうかが論文の評価に直結してくる。英語文献まできっちりと読みこなした論文もあったが、これは高く評価したい。また自ら、調査課題を設定し、手間と時間をかけて自分なりの独自の調査を実施した論文もあったが、これも大いに評価できる。実践フィールドに自ら出かけてそこで課題を見出した論文もあったが、その分析・考察の課題はあるにせよ、リアリティのある論文となった。これらの意気込みとその作業を大いに評価したい。 締め切りぎりぎりまで厳しい論文執筆作業に苦心した者もあったが、全体として、私の厳しい注文にも自らの問題意識を軸に必死で活字にしようと本当によくがんばったと思う。なかには、大学院生の学位論文顔負けの鋭い問題意識をもって新機軸を模索しようとするような論文もあった。 |
キーワード1 | 不登校 |
キーワード2 | 不登校支援 |
キーワード3 | 不登校受容 |
キーワード4 | 不登校の親の会 |
キーワード5 | |
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