詳細
学科 産業関係学科
年度 2016
ゼミ名 三山 雅子
タイトル 介護職の待遇を改善するために必要なこと-介護の歴史を振り返って-
内容 日本は約4人に1人が65歳以上の高齢者という世界でも有数の高齢国家である。高齢者が増加していく一方で、日本の出生率は低いために、日本の少子高齢化は今後もさらに拍車がかかると予測されている。その結果、今後は高齢者を家族だけで介護することが現実的に厳しくなり、外部のサービス機関に頼らざるを得ない状況になることは想像に難くない。しかし日本の介護職の待遇や社会的評価は決して高いとは言い難い。これから少子高齢化がさらに進行し、介護職の需要が伸びることが確実である日本において、なぜ介護職の待遇は低いのか、あるいは改善されないのか。本論文では、森川(2010)の『介護はいかにして「労働」となったのか-制度としての承認と評価のメカニズム-』を参考に、介護が労働として認められてきた歴史を振り返っていくことで、介護職の待遇の低さの原因を分析した。また原因を分析した上で、介護職の待遇を改善するためには何が必要であるかについての1つの結論を提示することが本論文の目的であるが、そのために介護の歴史を振り返ることで、介護という概念がどのように労働として認められ、現在に至っているのかを明らかにした。
講評 私のゼミでは卒論について、大学の正式な提出締め切りの前に、ゼミ内提出締め切りを設けている。なぜだかわからないが、それを守ることのできない学生が数年前から出現し始めた。就活は一時期より格段に楽になっている。だから卒論に取り組む時間は十分取れるにもかかわらずである。
ゼミ内提出締め切りを守ることができないという学生に何度か遭遇する中で気がついたことがある。結局、卒論の良し悪しは、大学の正式な提出締め切りの前、ゼミ内提出締め切り時から変わらないということである。これが意味することは簡単である。ようは執筆にかけることのできた時間に卒論の完成度は比例するということである。ある程度時間をかけて卒論を執筆することのできた学生の卒論は、お酒と同じで、執筆期間中に熟成を遂げる。つまり、最初は先行研究をなぞるだけであったものがじょじょにじょじょに熟成し、他者の言葉ではなく自分の言葉で書き始める。つまり、先人の思考と格闘したのだ。その結果として自分の思考と言葉を獲得したのだ。
一方、大学の正式な提出締め切りにギリギリに間に合う形で提出された卒論はほとんどが他者の言葉をなぞるのみで終わっている。自分の言葉がないわけではない。しかし、その自分の言葉は熟成することなく、生まれ落ちたままほっとかれている。だから読む者の気持ちを魅くことに欠ける。
ゼミ内提出締め切りを守ることができない学生が出始めてから、内容以前に卒論の形式を守ることができない学生も出現した。形式は内容を規定するから、卒論執筆要領を守ることができない学生の卒論は読んでも、内容的に光るものあるいは光るものになるかもしれない原石に遭遇することがほとんどない。卒論という思考の格闘を味合うことなく大学を卒業していくという意味で、これはとても残念なことだと思う。しかし、人はあるようにしかあれないということなのであろう。
キーワード1 介護保険制度
キーワード2 家事の延長
キーワード3 女性の仕事
キーワード4 介護支出
キーワード5 要介護認定
戻 る
Copyright (C) Doshisha University All Rights Reserved.