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学科 産業関係学科
年度 2016
ゼミ名 三山 雅子
タイトル 日本のコンテンツ産業のこれから
内容 産業としては脇役的な存在であった音楽、アニメ、ゲーム、映画などのいわゆる「コンテンツ」に、次代を担う産業として注目が集まっている。たとえば経済産業省では、2004年5月に取りまとめた新産業創造戦略の報告書の中で、「先端的な新産業4分野」の1つとしてコンテンツ産業を取り上げている。
本研究では、コンテンツ産業を、コンテンツを生み出す「創造」と、コンテンツを拡める「拡散」の2つのフェーズに切り分け、コンテンツ産業の現状と課題について検討を加えた。その結果、現在の日本の取り組みはスピード感に欠け、もっと本腰を入れて世界に先駆けた取組を実施しなければ、日本が世界で勝つことはないことが明らかになった。しかし同時に、この産業における日本の可能性の高さも実感でき、今後の取り組み次第では十分世界を席巻できることを確信した。
講評 私のゼミでは卒論について、大学の正式な提出締め切りの前に、ゼミ内提出締め切りを設けている。なぜだかわからないが、それを守ることのできない学生が数年前から出現し始めた。就活は一時期より格段に楽になっている。だから卒論に取り組む時間は十分取れるにもかかわらずである。
ゼミ内提出締め切りを守ることができないという学生に何度か遭遇する中で気がついたことがある。結局、卒論の良し悪しは、大学の正式な提出締め切りの前、ゼミ内提出締め切り時から変わらないということである。これが意味することは簡単である。ようは執筆にかけることのできた時間に卒論の完成度は比例するということである。ある程度時間をかけて卒論を執筆することのできた学生の卒論は、お酒と同じで、執筆期間中に熟成を遂げる。つまり、最初は先行研究をなぞるだけであったものがじょじょにじょじょに熟成し、他者の言葉ではなく自分の言葉で書き始める。つまり、先人の思考と格闘したのだ。その結果として自分の思考と言葉を獲得したのだ。
一方、大学の正式な提出締め切りにギリギリに間に合う形で提出された卒論はほとんどが他者の言葉をなぞるのみで終わっている。自分の言葉がないわけではない。しかし、その自分の言葉は熟成することなく、生まれ落ちたままほっとかれている。だから読む者の気持ちを魅くことに欠ける。
ゼミ内提出締め切りを守ることができない学生が出始めてから、内容以前に卒論の形式を守ることができない学生も出現した。形式は内容を規定するから、卒論執筆要領を守ることができない学生の卒論は読んでも、内容的に光るものあるいは光るものになるかもしれない原石に遭遇することがほとんどない。卒論という思考の格闘を味合うことなく大学を卒業していくという意味で、これはとても残念なことだと思う。しかし、人はあるようにしかあれないということなのであろう。
キーワード1 コンテンツ産業
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