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学科 | 産業関係学科 |
年度 | 2016 |
ゼミ名 | 三山 雅子 |
タイトル | 働く女性の現状 |
内容 | 今日、女性の働き方について議論される事が多くなってきた。世界的に男女平等がうたわれており、日本でももちろん話題になっているが、実際に改善されている部分はごくわずかである。過去をさかのぼってみると、欧米やその他諸国に比べて日本の女性はそれほど低い扱いを受けていたわけではない。にもかかわらず、現代では日本の女性の扱いに関して、先進国の中でも下位に位置している。その背景には女性の活躍をはばむ日本型雇用システムが存在していた。この論文では、国際比較も含めながら女性労働や女性の生き方の変化について論じようと思う。 また、男性は「職」に就き、女性は「家庭」を守るといった固定概念が今も根強く存在しており、やっと社会に進出できてきた女性が、今度は結婚する際に仕事と家庭の両方を守らなければならない状況で苦しんでいる。このような現状を踏まえ、女性の働きづらさの本質を解明した。また、女性が働きやすくするためにはどうすればよいのか、さらに、家庭と仕事の分業を今後どのようにするべきかについて考察した。 |
講評 | 私のゼミでは卒論について、大学の正式な提出締め切りの前に、ゼミ内提出締め切りを設けている。なぜだかわからないが、それを守ることのできない学生が数年前から出現し始めた。就活は一時期より格段に楽になっている。だから卒論に取り組む時間は十分取れるにもかかわらずである。 ゼミ内提出締め切りを守ることができないという学生に何度か遭遇する中で気がついたことがある。結局、卒論の良し悪しは、大学の正式な提出締め切りの前、ゼミ内提出締め切り時から変わらないということである。これが意味することは簡単である。ようは執筆にかけることのできた時間に卒論の完成度は比例するということである。ある程度時間をかけて卒論を執筆することのできた学生の卒論は、お酒と同じで、執筆期間中に熟成を遂げる。つまり、最初は先行研究をなぞるだけであったものがじょじょにじょじょに熟成し、他者の言葉ではなく自分の言葉で書き始める。つまり、先人の思考と格闘したのだ。その結果として自分の思考と言葉を獲得したのだ。 一方、大学の正式な提出締め切りにギリギリに間に合う形で提出された卒論はほとんどが他者の言葉をなぞるのみで終わっている。自分の言葉がないわけではない。しかし、その自分の言葉は熟成することなく、生まれ落ちたままほっとかれている。だから読む者の気持ちを魅くことに欠ける。 ゼミ内提出締め切りを守ることができない学生が出始めてから、内容以前に卒論の形式を守ることができない学生も出現した。形式は内容を規定するから、卒論執筆要領を守ることができない学生の卒論は読んでも、内容的に光るものあるいは光るものになるかもしれない原石に遭遇することがほとんどない。卒論という思考の格闘を味合うことなく大学を卒業していくという意味で、これはとても残念なことだと思う。しかし、人はあるようにしかあれないということなのであろう。 |
キーワード1 | 女性 |
キーワード2 | 賃金格差 |
キーワード3 | 男女平等 |
キーワード4 | 結婚 |
キーワード5 | 総合職 |
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