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学科 | 産業関係学科 |
年度 | 2016 |
ゼミ名 | 三山 雅子 |
タイトル | 長時間労働が及ぼす過労死の実態 |
内容 | 日本で過労死が大きな社会問題となっている。過労死による労災認定は四半世紀前より大きく増加した。しかし、労災認定された過労死にまつわる事件は氷山の一角であり、日本企業がいかに恒常的に長時間を行っているかを理解しなければならない。また、過労死問題を解決するためには、実態を知ることが何よりも最優先だと考える。 そこで本稿は日本の平均総実労働時間の分析より、平均総実労働時間は減少傾向にあるが、正社員の労働時間を表していないことを示した。また先進国の中で圧倒的に長い労働時間をどのように考えるかについても述べた。 次に、日本企業が行っている違法ともいえる賃金不払い残業の数々と労働組合の組織率などを取り上げ、違法な残業を日本で働く労働者はなぜ受け入れるのかを考察した。 最後に、悲惨な過労死の具体的事件を取り上げることにより、その過酷な労働実態を解明した。また長時間労働が引き起こす過労自殺にも触れている。企業だけでなく、労働者もまた長時間労働の危険性と日本の残業文化について改めて考え直すべきである。 |
講評 | 私のゼミでは卒論について、大学の正式な提出締め切りの前に、ゼミ内提出締め切りを設けている。なぜだかわからないが、それを守ることのできない学生が数年前から出現し始めた。就活は一時期より格段に楽になっている。だから卒論に取り組む時間は十分取れるにもかかわらずである。 ゼミ内提出締め切りを守ることができないという学生に何度か遭遇する中で気がついたことがある。結局、卒論の良し悪しは、大学の正式な提出締め切りの前、ゼミ内提出締め切り時から変わらないということである。これが意味することは簡単である。ようは執筆にかけることのできた時間に卒論の完成度は比例するということである。ある程度時間をかけて卒論を執筆することのできた学生の卒論は、お酒と同じで、執筆期間中に熟成を遂げる。つまり、最初は先行研究をなぞるだけであったものがじょじょにじょじょに熟成し、他者の言葉ではなく自分の言葉で書き始める。つまり、先人の思考と格闘したのだ。その結果として自分の思考と言葉を獲得したのだ。 一方、大学の正式な提出締め切りにギリギリに間に合う形で提出された卒論はほとんどが他者の言葉をなぞるのみで終わっている。自分の言葉がないわけではない。しかし、その自分の言葉は熟成することなく、生まれ落ちたままほっとかれている。だから読む者の気持ちを魅くことに欠ける。 ゼミ内提出締め切りを守ることができない学生が出始めてから、内容以前に卒論の形式を守ることができない学生も出現した。形式は内容を規定するから、卒論執筆要領を守ることができない学生の卒論は読んでも、内容的に光るものあるいは光るものになるかもしれない原石に遭遇することがほとんどない。卒論という思考の格闘を味合うことなく大学を卒業していくという意味で、これはとても残念なことだと思う。しかし、人はあるようにしかあれないということなのであろう。 |
キーワード1 | 過労死 |
キーワード2 | 長時間労働 |
キーワード3 | 賃金不払い残業 |
キーワード4 | 労働組合 |
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