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学科 産業関係学科
年度 2016
ゼミ名 三山 雅子
タイトル 京都府と奈良県の観光の違い
内容 奈良県と京都府の2つの地域の観光業を比較した。その中で分かったことは、京都への観光客は年々急増していて、それは京都府全体の地域がそれぞれ特徴を有しているからであるということだ。京都府は全国的にも有名な特産品などがあり、観光客がお土産として持って帰る際にも喜ばれるような知名度を誇っている。それに対し奈良県は歴史的なものが多く若者があまり興味のなさそうなものであるように感じる。また、外国人観光客が増加していることも観光の大きな点である。日本の伝統の奥深さや美意識、細部にこだわるきめの細かさ、さらにそれを支える技術力などが外国人に高く評価されているのである。しかし、外国人観光客が増えるのはいいことばかりではない。メリットとデメリットの両面がある。日本の観光業はうまくメリット、デメリットを考えながら景観を損なわないように景気を良くしていかなければならないのである。こういった点を奈良県と京都府の2つの地域を比較しながら、両方の今後に必要なものがなにかわかるのではないかと考えた。
講評 私のゼミでは卒論について、大学の正式な提出締め切りの前に、ゼミ内提出締め切りを設けている。なぜだかわからないが、それを守ることのできない学生が数年前から出現し始めた。就活は一時期より格段に楽になっている。だから卒論に取り組む時間は十分取れるにもかかわらずである。
ゼミ内提出締め切りを守ることができないという学生に何度か遭遇する中で気がついたことがある。結局、卒論の良し悪しは、大学の正式な提出締め切りの前、ゼミ内提出締め切り時から変わらないということである。これが意味することは簡単である。ようは執筆にかけることのできた時間に卒論の完成度は比例するということである。ある程度時間をかけて卒論を執筆することのできた学生の卒論は、お酒と同じで、執筆期間中に熟成を遂げる。つまり、最初は先行研究をなぞるだけであったものがじょじょにじょじょに熟成し、他者の言葉ではなく自分の言葉で書き始める。つまり、先人の思考と格闘したのだ。その結果として自分の思考と言葉を獲得したのだ。
一方、大学の正式な提出締め切りにギリギリに間に合う形で提出された卒論はほとんどが他者の言葉をなぞるのみで終わっている。自分の言葉がないわけではない。しかし、その自分の言葉は熟成することなく、生まれ落ちたままほっとかれている。だから読む者の気持ちを魅くことに欠ける。
ゼミ内提出締め切りを守ることができない学生が出始めてから、内容以前に卒論の形式を守ることができない学生も出現した。形式は内容を規定するから、卒論執筆要領を守ることができない学生の卒論は読んでも、内容的に光るものあるいは光るものになるかもしれない原石に遭遇することがほとんどない。卒論という思考の格闘を味合うことなく大学を卒業していくという意味で、これはとても残念なことだと思う。しかし、人はあるようにしかあれないということなのであろう。
キーワード1 観光
キーワード2 奈良
キーワード3 京都
キーワード4 外国人観光客
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