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学科 産業関係学科
年度 2016
ゼミ名 三山 雅子
タイトル 日本の長時間労働規制のあり方について
内容 日本が海外と比較して長時間労働であることは、様々な統計を見ても明らかである。また、長時間労働が発生する原因は自発的・非自発的な要因の2つに分類される。特に、労働者の健康確保という観点から、長時間労働は自発的・非自発的に関わらず規制されるべきだが、現在我が国には過労死ラインを超える長時間労働が蔓延しており、それは日本の長時間労働規制に問題があるためだと考えられる。第1に、日本は労基法における三六協定の欠陥によって、欧州諸国のように絶対的な最長労働時間や最低限の休息時間の設定が事実上存在しないという問題がある。第2に、労働時間規制の特例措置である弾力的な労働時間制度が煩雑であることや、名ばかり管理職のように使用者にとって都合のいいように利用されている問題が挙げられる。今後の長時間労働規制のあり方としては、EU労働時間指令を参考にした健康確保のための長時間労働規制とWLBのための長労働時間規制が挙げられるが、まず前者の実現を優先すべきだ。また、弾力的な労働時間制度については、対象者の範囲を労使協定で定め、使用者の恣意的な運用を阻止するため行政官庁への届け出を義務化すべきであると考えられる。
講評 私のゼミでは卒論について、大学の正式な提出締め切りの前に、ゼミ内提出締め切りを設けている。なぜだかわからないが、それを守ることのできない学生が数年前から出現し始めた。就活は一時期より格段に楽になっている。だから卒論に取り組む時間は十分取れるにもかかわらずである。
ゼミ内提出締め切りを守ることができないという学生に何度か遭遇する中で気がついたことがある。結局、卒論の良し悪しは、大学の正式な提出締め切りの前、ゼミ内提出締め切り時から変わらないということである。これが意味することは簡単である。ようは執筆にかけることのできた時間に卒論の完成度は比例するということである。ある程度時間をかけて卒論を執筆することのできた学生の卒論は、お酒と同じで、執筆期間中に熟成を遂げる。つまり、最初は先行研究をなぞるだけであったものがじょじょにじょじょに熟成し、他者の言葉ではなく自分の言葉で書き始める。つまり、先人の思考と格闘したのだ。その結果として自分の思考と言葉を獲得したのだ。
一方、大学の正式な提出締め切りにギリギリに間に合う形で提出された卒論はほとんどが他者の言葉をなぞるのみで終わっている。自分の言葉がないわけではない。しかし、その自分の言葉は熟成することなく、生まれ落ちたままほっとかれている。だから読む者の気持ちを魅くことに欠ける。
ゼミ内提出締め切りを守ることができない学生が出始めてから、内容以前に卒論の形式を守ることができない学生も出現した。形式は内容を規定するから、卒論執筆要領を守ることができない学生の卒論は読んでも、内容的に光るものあるいは光るものになるかもしれない原石に遭遇することがほとんどない。卒論という思考の格闘を味合うことなく大学を卒業していくという意味で、これはとても残念なことだと思う。しかし、人はあるようにしかあれないということなのであろう。
キーワード1 長時間労働規制
キーワード2 過労死
キーワード3 ワーク・ライフ・バランス
キーワード4 労働基準法
キーワード5 EU労働時間指令
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