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学科 | 産業関係学科 |
年度 | 2016 |
ゼミ名 | 三山 雅子 |
タイトル | トップアスリートのセカンドキャリア問題の現状と課題 |
内容 | 2020年に東京オリンピック・パラリンピックの開催が決定し、我が国のスポーツ界の今後の展開に更なる注目が集まっている。しかし、日本のスポーツ界を支え、ファンや一般スポーツ実施者に夢や感動を与えるトップアスリートがセカンドキャリアに悩む姿を目の当たりにする。国全体としてスポーツによる、日本の国際的地位の向上を期待する動きがある中で、セカンドキャリアを整備することは必要不可欠である。そこで本論文では、日本のトップアスリートの引退後のキャリア、つまりセカンドキャリアに対する支援策の現状と課題を検討し、今後のあるべき方向性を探った。実業団選手やプロ野球・Jリーグにおけるプロスポーツ選手は、競技引退後の不安やセカンドキャリアについて相談ができるハローワーク的環境を求めており、これに対して国やJOCが短期的な就職・進路対策を主眼とする就業マッチングを統括して行うべきである。また、スポーツ以外のあらゆる能力をジュニア世代から身につけさせる長期的な教育システムの構築も必要である。 |
講評 | 私のゼミでは卒論について、大学の正式な提出締め切りの前に、ゼミ内提出締め切りを設けている。なぜだかわからないが、それを守ることのできない学生が数年前から出現し始めた。就活は一時期より格段に楽になっている。だから卒論に取り組む時間は十分取れるにもかかわらずである。 ゼミ内提出締め切りを守ることができないという学生に何度か遭遇する中で気がついたことがある。結局、卒論の良し悪しは、大学の正式な提出締め切りの前、ゼミ内提出締め切り時から変わらないということである。これが意味することは簡単である。ようは執筆にかけることのできた時間に卒論の完成度は比例するということである。ある程度時間をかけて卒論を執筆することのできた学生の卒論は、お酒と同じで、執筆期間中に熟成を遂げる。つまり、最初は先行研究をなぞるだけであったものがじょじょにじょじょに熟成し、他者の言葉ではなく自分の言葉で書き始める。つまり、先人の思考と格闘したのだ。その結果として自分の思考と言葉を獲得したのだ。 一方、大学の正式な提出締め切りにギリギリに間に合う形で提出された卒論はほとんどが他者の言葉をなぞるのみで終わっている。自分の言葉がないわけではない。しかし、その自分の言葉は熟成することなく、生まれ落ちたままほっとかれている。だから読む者の気持ちを魅くことに欠ける。 ゼミ内提出締め切りを守ることができない学生が出始めてから、内容以前に卒論の形式を守ることができない学生も出現した。形式は内容を規定するから、卒論執筆要領を守ることができない学生の卒論は読んでも、内容的に光るものあるいは光るものになるかもしれない原石に遭遇することがほとんどない。卒論という思考の格闘を味合うことなく大学を卒業していくという意味で、これはとても残念なことだと思う。しかし、人はあるようにしかあれないということなのであろう。 |
キーワード1 | セカンドキャリア |
キーワード2 | トップアスリート |
キーワード3 | 実業団選手 |
キーワード4 | プロスポーツ選手 |
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