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学科 | 教育文化学科 |
年度 | 2016 |
ゼミ名 | 沖田 行司 |
タイトル | 「新島襄の教育理念と同志社」―良心教育を中心に― |
内容 | 新島襄は一八六四年に函館から国禁を犯してアメリカに渡り、アーモスト大学とアンドーヴァー神学校で学び、十年のアメリカ滞在後、一八七四年に帰国して翌年京都に同志社英学校を創設した。新島の生涯の事業は、キリスト教主義を徳育の基本とする大学の創設であった。現在、新島襄に関する研究の多くは、同志社大学関係者や新島襄に対して個人的に敬愛心を抱いている研究者によるものがほとんどである。そのため、その研究内容もほとんどが類似化しているといえる。 新島の教育理念の根底は良心であり、良心に束縛された自由による学びを展開することが彼の夢でもあった。 本論文では、新島襄の思想形成の過程と教育理念について、脱国の理由ならびにアメリカ時代の学習を中心に論じる。また、新島襄に関する批判を行っている太田雄三の見解を中心とする現存する批判的考察についても論じたうえで、筆者自身の見解についても明らかにしていく。 |
講評 | 本年は卒業研究が1本と卒業論文が17本の計18本の提出があった。ゼミの半数近くが体育会で、特に1月2日まで現役で試合をしたラグビー部に所属する学生が4人とマネージャー1人の5人もいたことから、卒論に専念すべき時期と、大学選手権の試合の時期が重なり、学生も大変だっただろうし、指導する私も戦闘状態でした。日本教育文化史のゼミでは文献史料の読解が不可欠で、先行研究の書物を読むことと併せて、かなりの負担があったと思いますが、私が要求する最低限の内容は全員クリアーしていました。部活動やアルバイトや就職活動で、指導の時間がまちまちとなり、長い時には6時間ほど座り続けてかなり老体に堪えました。しかし、論文指導を通して、はじめてゼミ生の考え方などに触れることが出来、相互理解が深まったように思われる。 |
キーワード1 | 新島襄 |
キーワード2 | 同志社 |
キーワード3 | 脱国の理由 |
キーワード4 | アメリカ時代 |
キーワード5 | 良心教育 |
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