詳細
学科 産業関係学科
年度 2017
ゼミ名 三山 雅子
タイトル 世界には売れない日本の学生-新卒一括採用と能力-
内容 現在、就職を希望する大学生の90%以上が卒業後何かしらの形で就職している。世界でも類を見ないほど高い日本の学生就職率は、新卒一括採用という採用制度だけでなく、日本の能力観も強く影響を及ぼしている。欧米型の雇用システムに多く見られる採用方法では、採用される労働者は職務を遂行できるだけの技されている為可能な採用方法だ。それに対し、日本型雇用システムの採用方法は、職務内容が明確でない故に、労働者にそういった技術や資格の保持を絶対としていない。こうした採用方法を実行する日本では、採用の際抽象的な評価要素が用いられる。そうした評価要素の中には、就業意識やコミュニケーション能力といった日本では聞きなれた単語が登場する。しかし、こうした評価要素は抽象的かつ主観的である。その結果、留年者が既卒者よりも優遇されるような事態に陥る。これらは日本人の公平観や能力観から由来するものだった。
講評 今年もやはり同じことを書くことになった。卒論のでき具合は二極化していて、それは執筆にかけた時間に比例するということである。夏休みが終わって秋学期が始まるけれど、その頃から準備を開始して書かれた卒論は卒論らしい、つまり荒削りではあるけれど今を生きる20代の人たちの切実な関心が書かれているものに仕上がっている。一方、11月も終わり頃から取り掛かり始めた卒論は、なんとかなって事実をなぞるのみである。言い換えるならば自分の見解というものを突きつけて考えた跡が見られない。メディアで流れている考えがそのまま書かれている。その人らしい表現も皆無である。だから読んでいてつまらない。
なぜこうなってしまうのか?これもやはり同じことを書かざるをえない。全てを疑うという意味で考えることが生きていく上で必要不可欠であるとは思っていないということであろう。今ある流れに乗っかることができたならば大丈夫なのだという感覚がそこにはある。だから大学で学ぶことは抽象的な絵空事を学ぶにすぎないのであろうし、卒論もその延長線上にあるのだと思う。だから力が入らない。全ての大事なことは会社にあるのであろう。
けれども、こういった事態は、これからは知価社会だと言いながら、そういった認識を持ちながら、教育予算を平然と減らしてきた日本社会にふさわしいことなのかもしれない。つまり実利的な???今日、明日に役に立つこと、だからすぐさま役に立たなくなる???ことを学ぶこと以外の価値がわからない。しかしこれも貧乏国、新興国から金持ち国に成り上がたっはいいが、いかなる金持ち国になったらいいかわからず、貧乏国時代と同じことを繰り返しているこの国にみあったことなのであろう。
さてどうしたらいいものか?教員としては、それでも学ぶこと、学ぶことの相互交換を通して、知ること、考えることなくしては実利さえも失ってしまうことを伝えていくしかないのであろう。
キーワード1 新卒一括採用
キーワード2 能力
キーワード3 日本の能力観
キーワード4 平等と公正
キーワード5  
戻 る
Copyright (C) Doshisha University All Rights Reserved.