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学科 産業関係学科
年度 2017
ゼミ名 三山 雅子
タイトル 長時間労働を解決するには
内容 1章では長時間労働の国際比較から日本の長時間労働の現状を浮き彫りにした。そしてでは1時間当たりの生産効率、希望労働時間、長時間労働に対する健康面の3点から日本人は働き過ぎであるかどうかを実証した。3過労死の定義が時代によって変化していること、1年間に起きる過労死の請求件数と死亡者の件数が減っていないことを示している。第4章では、日本の背景や文化から長時間労働が起きる原因を考えた。そして、平均年間総実働時間が日本よりも短いドイツとフランスをもとに日本との比較を行った。最後に今安倍内閣が提唱している一億総活躍社会を柱とする「働き方改革」について述べている。
講評 今年もやはり同じことを書くことになった。卒論のでき具合は二極化していて、それは執筆にかけた時間に比例するということである。夏休みが終わって秋学期が始まるけれど、その頃から準備を開始して書かれた卒論は卒論らしい、つまり荒削りではあるけれど今を生きる20代の人たちの切実な関心が書かれているものに仕上がっている。一方、11月も終わり頃から取り掛かり始めた卒論は、なんとかなって事実をなぞるのみである。言い換えるならば自分の見解というものを突きつけて考えた跡が見られない。メディアで流れている考えがそのまま書かれている。その人らしい表現も皆無である。だから読んでいてつまらない。
なぜこうなってしまうのか?これもやはり同じことを書かざるをえない。全てを疑うという意味で考えることが生きていく上で必要不可欠であるとは思っていないということであろう。今ある流れに乗っかることができたならば大丈夫なのだという感覚がそこにはある。だから大学で学ぶことは抽象的な絵空事を学ぶにすぎないのであろうし、卒論もその延長線上にあるのだと思う。だから力が入らない。全ての大事なことは会社にあるのであろう。
けれども、こういった事態は、これからは知価社会だと言いながら、そういった認識を持ちながら、教育予算を平然と減らしてきた日本社会にふさわしいことなのかもしれない。つまり実利的な???今日、明日に役に立つこと、だからすぐさま役に立たなくなる???ことを学ぶこと以外の価値がわからない。しかしこれも貧乏国、新興国から金持ち国に成り上がたっはいいが、いかなる金持ち国になったらいいかわからず、貧乏国時代と同じことを繰り返しているこの国にみあったことなのであろう。
さてどうしたらいいものか?教員としては、それでも学ぶこと、学ぶことの相互交換を通して、知ること、考えることなくしては実利さえも失ってしまうことを伝えていくしかないのであろう。
キーワード1 平均年間総実働時間
キーワード2 過労死
キーワード3 働き方改革
キーワード4 一億総活躍社会
キーワード5  
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