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学科 産業関係学科
年度 2017
ゼミ名 三山 雅子
タイトル 日本の英語教育の現状と課題
内容 本論文では、日本人の英語力が低い原因を明らかにした上で、諸外国と日本の英語教育を比較することにより、日本の英語教育の課題、今後の英語教育の在り方を究明した。
日本では、長年、文法偏重の英語教育が重視されてきたが、近年コミュニケーション重視の英語教育へと方針が変わってきている。また、年度から小学校で教科としての英語教育が開始されるなど、日本における英語教育が大きく変わろうとしている。
一般的に子どもが小さい頃から英語を学んだ方が、英語を習得する上でアドバンテージを得られると言われており、隣国の韓国も、日本よりもずっと前から早期英語教育に力を入れており、のスコアを大きく伸ばしている。日本はアジア諸国の中でも英語教育が遅れており、実際に先進国にも関わらずアジア諸国の中でも英語力が低い。文部科学省が発表した新学習指導要項で日本における英語教育が新しく生まれ変わろうとしているが、はたして新しい制度の英語教育で、これまで英語が話せないと言われ続けた日本人が、英語を話せるようになるのか。その点も踏まえて、今後の日本教育の在り方について考察した。
講評 今年もやはり同じことを書くことになった。卒論のでき具合は二極化していて、それは執筆にかけた時間に比例するということである。夏休みが終わって秋学期が始まるけれど、その頃から準備を開始して書かれた卒論は卒論らしい、つまり荒削りではあるけれど今を生きる20代の人たちの切実な関心が書かれているものに仕上がっている。一方、11月も終わり頃から取り掛かり始めた卒論は、なんとかなって事実をなぞるのみである。言い換えるならば自分の見解というものを突きつけて考えた跡が見られない。メディアで流れている考えがそのまま書かれている。その人らしい表現も皆無である。だから読んでいてつまらない。
なぜこうなってしまうのか?これもやはり同じことを書かざるをえない。全てを疑うという意味で考えることが生きていく上で必要不可欠であるとは思っていないということであろう。今ある流れに乗っかることができたならば大丈夫なのだという感覚がそこにはある。だから大学で学ぶことは抽象的な絵空事を学ぶにすぎないのであろうし、卒論もその延長線上にあるのだと思う。だから力が入らない。全ての大事なことは会社にあるのであろう。
けれども、こういった事態は、これからは知価社会だと言いながら、そういった認識を持ちながら、教育予算を平然と減らしてきた日本社会にふさわしいことなのかもしれない。つまり実利的な???今日、明日に役に立つこと、だからすぐさま役に立たなくなる???ことを学ぶこと以外の価値がわからない。しかしこれも貧乏国、新興国から金持ち国に成り上がたっはいいが、いかなる金持ち国になったらいいかわからず、貧乏国時代と同じことを繰り返しているこの国にみあったことなのであろう。
さてどうしたらいいものか?教員としては、それでも学ぶこと、学ぶことの相互交換を通して、知ること、考えることなくしては実利さえも失ってしまうことを伝えていくしかないのであろう。
キーワード1 英語教育
キーワード2 英語力
キーワード3 初等中等英語教育
キーワード4 文法偏重
キーワード5  
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