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学科 産業関係学科
年度 2017
ゼミ名 三山 雅子
タイトル 残業社会日本はこのままでいいのか~今こそ企業の在り方を見つめ直す時~
内容 2017年は商工組合中央金庫の不正融資、神戸製鋼所のデータ改竄等、日本を代表する大企業で不正が起こった年であった。前年から電通や三菱電機で明るみになった過労自殺問題も含め、全てが利益を追求する企業の姿勢から起きた事件であった。人口が減少し少子高齢化も進む日本では経済成長が止まっており、国内ではあらゆる業界で企業間競争が激しくなっている。今後の明確な成長分野は海外展開以外にはないのだが海外展開が可能な企業は限られている。多くの企業は成長を目指すことから経費削減をして業績を維持する方向に舵を切り始めた。この経費削減が日本的能力主義管理の性格と相まって労働者に削減された管理職ポストを巡る出世競争、休日の自己研鑽等、あらゆる負担を強いているのである。本論文ではホワイトカラーに注目し、日本の労働者がいかなるルールの下でどのような働き方をしているのか、そしてその働き方がもたらす問題点は何かを明らかにした。
講評 今年もやはり同じことを書くことになった。卒論のでき具合は二極化していて、それは執筆にかけた時間に比例するということである。夏休みが終わって秋学期が始まるけれど、その頃から準備を開始して書かれた卒論は卒論らしい、つまり荒削りではあるけれど今を生きる20代の人たちの切実な関心が書かれているものに仕上がっている。一方、11月も終わり頃から取り掛かり始めた卒論は、なんとかなって事実をなぞるのみである。言い換えるならば自分の見解というものを突きつけて考えた跡が見られない。メディアで流れている考えがそのまま書かれている。その人らしい表現も皆無である。だから読んでいてつまらない。
なぜこうなってしまうのか?これもやはり同じことを書かざるをえない。全てを疑うという意味で考えることが生きていく上で必要不可欠であるとは思っていないということであろう。今ある流れに乗っかることができたならば大丈夫なのだという感覚がそこにはある。だから大学で学ぶことは抽象的な絵空事を学ぶにすぎないのであろうし、卒論もその延長線上にあるのだと思う。だから力が入らない。全ての大事なことは会社にあるのであろう。
けれども、こういった事態は、これからは知価社会だと言いながら、そういった認識を持ちながら、教育予算を平然と減らしてきた日本社会にふさわしいことなのかもしれない。つまり実利的な???今日、明日に役に立つこと、だからすぐさま役に立たなくなる???ことを学ぶこと以外の価値がわからない。しかしこれも貧乏国、新興国から金持ち国に成り上がたっはいいが、いかなる金持ち国になったらいいかわからず、貧乏国時代と同じことを繰り返しているこの国にみあったことなのであろう。
さてどうしたらいいものか?教員としては、それでも学ぶこと、学ぶことの相互交換を通して、知ること、考えることなくしては実利さえも失ってしまうことを伝えていくしかないのであろう。
キーワード1 長時間労働(残業)
キーワード2 能力管理主義
キーワード3 生活態度としての能力
キーワード4 ノルマ
キーワード5 ブラックバイトユニオン
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