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学科 産業関係学科
年度 2018
ゼミ名 石田 光男
タイトル Piecework bargainingを読んで
内容 大学での学びの集大成として「ごまかしなくわかる」勉強を実践するために、日本とはかけ離れたイギリスの出来高賃金制度について英語の本を使って勉強することにした。
本稿ではその実践にあたってW.BrownのPiecework bargaining を読み、分かったことと分からなかったことをまとめていく。1960年代のイギリスの機械産業の多くの工場では出来高賃金制度によって労働者に賃金を支払っていた。しかし後にこの制度の下で生産性を上回る過大な賃金の引き上げが発生し、イギリスの機械産業は国際競争力の低下に悩まされるようになる。この様な現象が起きた仕組みを出来高賃金制度の下での労働者と経営の交渉取引から理解する。まず出来高賃金交渉の理論と実際にどのように運用されているのかを説明する。そのあと出来高賃金制度は無秩序なものではなく、複雑な規則の下で運用されているという事を示したうえでなぜそれらの規則が交渉されないのかについて検討する。
講評 1.「Piecework Bargainingを読んで」はいい論文である。熟読は翻訳になる。君には次の言葉を贈る。「小林秀雄はランボーの翻訳に関して次のように言っている。「愛讀し、愛讀するだけでは我慢が成らぬから飜譯する、…愛讀するとは、原著者に自分の個人的な様々の勝手な想ひを託する事であり、飜譯するとは、さういう想ひを表現するのに原著者を模倣してみるといふ事だ」」(二宮正之『小林秀雄のこと』岩波書店2018)「まじめに翻訳したことのある人ならば、作者の肉声が聞こえて来なければ、よい訳のできないことは、よく知っているだろう。肉声が聞こえるという事がどんなに具体的なことであるかもわかっているだろう。」(同上)
2.全体の講評。
卒業論文は一人一人の言葉の正しい意味での自己紹介だと思う。「わたしはこういう人間です」「これ以上でもこれ以下でもありません、私という人間は」ということをどうしても表現することになってしまうのが言葉の本性だからである。言葉遣いの現在の到達点、それが各人の卒業論文である。
 そこからが君たちの出発である。
 いくつかのコメントをしたい。
第一、参考文献からの引用は丁寧にということを強調した。私は正直な論文が好きだ。だから他者からの引用と自分自身の言葉とを仕分けする作業は正直な自分になる作業である。その結果、みすぼらしい自分の発見に行き着くことが多いとは言え、かすかな輝やきをたたえている自分もそこにはかならずいるはずだ。その輝きを火種にこの人生を歩むのだ。
第二、実証的な研究であれ、文献研究であれ、自分を横に置いた論文はよくない。直ぐに反論があろう。実証研究であれば、事実に虚心に向かえば向かうほど自分などを出しようがないではないか、文献研究であれば文献の論旨を正しく追えば追うほど自分などを出しようがないではないかと。しかし、無限な事実の中からどんな事実が重要だと観るかに自分が現れるのだし、文献研究であればマル写しでない以上、自分の読み方が現れるのだ。その自分の現れ方、あるいは表し方が自分の個性であり、その説得力が自分の力量なのだ。そもそも自分を隠し続ける勉強などは面白くもないはずだ。勉強は打算でやるのではなくて面白いからやるのだ、ということをわかって卒業して欲しい。
第三、研究(勉強)と社会での仕事の関係。研究(勉強)は卒業でお終い、4月からは仕事という別世界だという理解は浅はかである。仕事を始めてみて本当の勉強が始まったと先輩たちは言う。実は地続きなのだ。全く二つの世界が別物であれば、いいですか、大学での勉強は無用だということになる。その気配が濃厚に漂っているのが現代日本ではあるけれど。仕事には実践が伴うが、勉強には認識という脳細胞の活動はあっても実践が伴わないという区分が先の言明の根拠になっているが、認識と実践とはさほど機械的に区分できない。「こう考える」、だからこうしてみようというように地続きになっている。
 偽りのない自分の到達点としての卒業論文を直視して、そこから自らの研鑽を積み上げていって欲しい。
キーワード1 イギリス
キーワード2 出来高賃金
キーワード3 基準時間
キーワード4 custom and practice
キーワード5  
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