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学科 | 産業関係学科 |
年度 | 2018 |
ゼミ名 | 石田 光男 |
タイトル | 長時間労働について~日本と海外の比較~ |
内容 | 本論文では、労働時間と生産性、有給休暇の取得率を比較し、長時間労働が引き起こす問題を述べた上で、世界の変わった働き方や、ケーススタディを研究した中で、日本人の働き方について見直し、日本人にとってより良い働き方を考え、提言する。 本論文のために、海外に在住している友人に話を聞き、また世界各国の働き方をリサーチし、変わった働き方を探した。 長時間労働の結果、取り返しのつかない問題が起こった事例があることは事実だが、多くのケーススタディから、日本でも様々な制度が取り組まれており、長時間労働問題に対して改善されている企業も多く存在していることが示されている。働き方改革を取り組んでいる企業の多くでは、残業時間の削減と有給休暇の所得数の増加に成功している例が多く、日本の働き方改革の制度について、日本の企業が取り組んでいる制度がどれほどの成果を得ているのかを示している。 長時間労働の問題は、労働を行うすべての人に関係するものだ。この長時間労働問題に対して様々な対策は唱えられているが、過労自殺などは未だに事件として挙げられている事例もある。この問題は労働者一人ひとりの意識を改善し、また労働者の姿勢によって変わるものであるとうかがえる。 |
講評 | 1.全体の講評。 卒業論文は一人一人の言葉の正しい意味での自己紹介だと思う。「わたしはこういう人間です」「これ以上でもこれ以下でもありません、私という人間は」ということをどうしても表現することになってしまうのが言葉の本性だからである。言葉遣いの現在の到達点、それが各人の卒業論文である。 そこからが君たちの出発である。 いくつかのコメントをしたい。 第一、参考文献からの引用は丁寧にということを強調した。私は正直な論文が好きだ。だから他者からの引用と自分自身の言葉とを仕分けする作業は正直な自分になる作業である。その結果、みすぼらしい自分の発見に行き着くことが多いとは言え、かすかな輝やきをたたえている自分もそこにはかならずいるはずだ。その輝きを火種にこの人生を歩むのだ。 第二、実証的な研究であれ、文献研究であれ、自分を横に置いた論文はよくない。直ぐに反論があろう。実証研究であれば、事実に虚心に向かえば向かうほど自分などを出しようがないではないか、文献研究であれば文献の論旨を正しく追えば追うほど自分などを出しようがないではないかと。しかし、無限な事実の中からどんな事実が重要だと観るかに自分が現れるのだし、文献研究であればマル写しでない以上、自分の読み方が現れるのだ。その自分の現れ方、あるいは表し方が自分の個性であり、その説得力が自分の力量なのだ。そもそも自分を隠し続ける勉強などは面白くもないはずだ。勉強は打算でやるのではなくて面白いからやるのだ、ということをわかって卒業して欲しい。 第三、研究(勉強)と社会での仕事の関係。研究(勉強)は卒業でお終い、4月からは仕事という別世界だという理解は浅はかである。仕事を始めてみて本当の勉強が始まったと先輩たちは言う。実は地続きなのだ。全く二つの世界が別物であれば、いいですか、大学での勉強は無用だということになる。その気配が濃厚に漂っているのが現代日本ではあるけれど。仕事には実践が伴うが、勉強には認識という脳細胞の活動はあっても実践が伴わないという区分が先の言明の根拠になっているが、認識と実践とはさほど機械的に区分できない。「こう考える」、だからこうしてみようというように地続きになっている。 偽りのない自分の到達点としての卒業論文を直視して、そこから自らの研鑽を積み上げていって欲しい。 |
キーワード1 | 長時間労働 |
キーワード2 | 国際比較 |
キーワード3 | 過労死(過労自殺) |
キーワード4 | 残業時間の削減 |
キーワード5 | 有給休暇の取得 |
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