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学科 | 産業関係学科 |
年度 | 2018 |
ゼミ名 | 三山 雅子 |
タイトル | これからの農業 -農業に関わる人の増加のために- |
内容 | 現在、日本農業は進化しており、従来の農業とは大きく変化している。現在もしくは未来の日本農業は魅力的なものである。そして、さらに未来の日本農業をより発展させるには農業に関わる人を増やしていかなければならない。従って、本稿では農業に関わる人々を増やすにはどうすればよいかということに焦点を当て、農業についての分析を進めた。 分析の結果、日本の農業は「スマート農業」を駆使して、進化を遂げていることがわかった。今後、日本の農業は「スマート農業」が浸透することによって、実際に畑で農業を行うのは人ではなく、ロボットが行う時代が来る。そうなることで農業のつらい仕事はかなり減少する。 しかし、このような進化を現代の若者は知らない。従って、農業に関わる人々を増やすためには、まず、日本農業の進化を知ってもらうことであり、農業の「きつい・汚い・稼げない」というイメージを変えることが重要であるとわかった。 私は、本稿が農業に関わる人々の増加や農業に興味を持つきっかけになることを考えて、執筆した。 |
講評 | ここ数年と比べて熱心に取り組んだゼミ生が多かったとは思うけれど、今年も卒論は二極化していた。卒論の提出にあたっては様々な約束事がある。たとえば提出日だとか字数、つけるべき付属の文書などの形式的な事柄である。これらの形式的な事柄をそつ無くクリアーしている卒論は、卒論としての水準が相対的に高く、これらの形式をなんとかクリアーしたものは前者に及ばない。卒論はもちろん中身が大切??卒論に限らずあらゆる表現はそうなのだが??なのだが、けっきょく内容は形式に規定されてしまうのだ。それに加え、大学4年間で学んだものすべてが、卒論には結実しているとも感じた。授業でのレポートに真摯に取り組んでいたのかいないのかが、卒論には現れてしまっていた。当然のことなのかもしれない。昨日まで書いていたレポートにおいて、てにをはの整った日本語の文章が書けない人が、卒論になったからといって突然書けるわけがないのだから。きちんとした卒論を書くことは文系大学生としての最低限だと私は考えている。なぜなら文系大学生は、卒業後けっきょく言葉と言葉に基づいて行う行為である思考を武器に仕事をしていくからだ。だから学生時代の4年間を大切にしてほしいと思う。 もう一点、テーマ設定に関わって感じたことがある。数年前から感じてはいたのだが、労働??雇用されて働くことといってよい??が若い人の中でone of them になってきているということである。直接的に仕事と私生活のバランスについて取り上げていない卒論であっても、つまるところ仕事と私生活のバランスについて取り上げている卒論が多かった。これは私が大学生であった頃には考えられないことである。たとえば男子学生が女性労働者の活躍について書くなどということはありえないことであった。しかし、数年前から、女性労働者を取り上げる男子学生がポツポツと現れ始めた。日本社会自体の変化を反映しているのかもしれない。こういう形で今に出会えるのも教員という仕事の面白さかもしれない。 |
キーワード1 | 大量離農 |
キーワード2 | スマート農業 |
キーワード3 | 新3K農業 |
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