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学科 産業関係学科
年度 2018
ゼミ名 三山 雅子
タイトル 日本とアメリカの女性の社会進出の比較
内容 本論文では、少子高齢化が進み労働人口が減少している日本における女性の働き方と、日本とは対照的に女性の管理職比率が高く、女性が男性同様に活躍する社会が作られていると考えられるアメリカを比較し、これからの日本の女性の活躍推進について論じる。
日本とアメリカを比較した際に、アメリカは日本とは異なり勤続年数や男女の差ではなく「個人の能力」によって評価されており、そのため日本に比べ女性の管理職比率は高く、また賃金格差も小さいと考えられる。また、父親の育児家事関連時間に関しても、日本とアメリカの労働時間の差は大きくないものの、家事育児に占める男性の時間割合に差が生じているのには、ジェンダー観や性別分業観などの価値観が影響しているのではないかと推測できる。日本の雇用形態である「メンバーシップ型雇用」からアメリカなどの雇用形態である「ジョブ型」への移行は「長時間労働・М字カーブの解消・母親の労働力率の増加」というような問題の改善策になりうると考えられるが、それに合わせて、企業側の意識や男性従業員の意識、女性従業員の意識を変え、女性が働くことに対する古典的な考え方を改め、男性だけではなく女性にも多様な人材があり、管理職などになりうる人材がいるという視点を持つ必要があると考える。
講評 ここ数年と比べて熱心に取り組んだゼミ生が多かったとは思うけれど、今年も卒論は二極化していた。卒論の提出にあたっては様々な約束事がある。たとえば提出日だとか字数、つけるべき付属の文書などの形式的な事柄である。これらの形式的な事柄をそつ無くクリアーしている卒論は、卒論としての水準が相対的に高く、これらの形式をなんとかクリアーしたものは前者に及ばない。卒論はもちろん中身が大切??卒論に限らずあらゆる表現はそうなのだが??なのだが、けっきょく内容は形式に規定されてしまうのだ。それに加え、大学4年間で学んだものすべてが、卒論には結実しているとも感じた。授業でのレポートに真摯に取り組んでいたのかいないのかが、卒論には現れてしまっていた。当然のことなのかもしれない。昨日まで書いていたレポートにおいて、てにをはの整った日本語の文章が書けない人が、卒論になったからといって突然書けるわけがないのだから。きちんとした卒論を書くことは文系大学生としての最低限だと私は考えている。なぜなら文系大学生は、卒業後けっきょく言葉と言葉に基づいて行う行為である思考を武器に仕事をしていくからだ。だから学生時代の4年間を大切にしてほしいと思う。
もう一点、テーマ設定に関わって感じたことがある。数年前から感じてはいたのだが、労働??雇用されて働くことといってよい??が若い人の中でone of them になってきているということである。直接的に仕事と私生活のバランスについて取り上げていない卒論であっても、つまるところ仕事と私生活のバランスについて取り上げている卒論が多かった。これは私が大学生であった頃には考えられないことである。たとえば男子学生が女性労働者の活躍について書くなどということはありえないことであった。しかし、数年前から、女性労働者を取り上げる男子学生がポツポツと現れ始めた。日本社会自体の変化を反映しているのかもしれない。こういう形で今に出会えるのも教員という仕事の面白さかもしれない。
キーワード1 アメリカ
キーワード2 管理職比率
キーワード3 賃金格差
キーワード4 М字カーブ
キーワード5 家事育児時間
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