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学科 | 産業関係学科 |
年度 | 2018 |
ゼミ名 | 三山 雅子 |
タイトル | 理想の働き方をするために |
内容 | 本論文では、理想の働き方をするための施策を考察するために、日本の働き方の現状における問題点を明らかにする。その問題の中の労働時間と有給休暇に焦点を当て、働き方の改善と企業での働き方の改革を提案する。 日本では、労働者の働くことへの意識が仕事中心からプライベート中心に変化しており、特に労働時間の長さと有給休暇の取得率の低さは労働者の中で問題意識が高まっている。実際、労働時間の長さと有給休暇の取得率は他の先進諸国と比較しても低水準である。これは人手不足による一人当たりの仕事量の多さ、残業することや有給休暇を取得せず働くことが評価制度に反映される可能性があること、また定時帰宅や有給休暇取得を許容しない職場環境などが原因として挙げられる。ここで、労働時間の長さ、有給休暇取得率の低さの原因の一つであり、また改善するために欠かせない役割を担っているのは管理職の立場にある人であることが明らかになった。 理想の働き方をするためには、経営者や管理職など立場が上の人が問題意識をもって取り組み、トップダウンアプローチやボトムアップアプローチを行いやすい職場環境を整えることが必要である。また、教育制度を強化することで従業員の生産性を向上させるなど制度も整備すること、そしてその制度の活用を促進させることが必要である。 |
講評 | ここ数年と比べて熱心に取り組んだゼミ生が多かったとは思うけれど、今年も卒論は二極化していた。卒論の提出にあたっては様々な約束事がある。たとえば提出日だとか字数、つけるべき付属の文書などの形式的な事柄である。これらの形式的な事柄をそつ無くクリアーしている卒論は、卒論としての水準が相対的に高く、これらの形式をなんとかクリアーしたものは前者に及ばない。卒論はもちろん中身が大切??卒論に限らずあらゆる表現はそうなのだが??なのだが、けっきょく内容は形式に規定されてしまうのだ。それに加え、大学4年間で学んだものすべてが、卒論には結実しているとも感じた。授業でのレポートに真摯に取り組んでいたのかいないのかが、卒論には現れてしまっていた。当然のことなのかもしれない。昨日まで書いていたレポートにおいて、てにをはの整った日本語の文章が書けない人が、卒論になったからといって突然書けるわけがないのだから。きちんとした卒論を書くことは文系大学生としての最低限だと私は考えている。なぜなら文系大学生は、卒業後けっきょく言葉と言葉に基づいて行う行為である思考を武器に仕事をしていくからだ。だから学生時代の4年間を大切にしてほしいと思う。 もう一点、テーマ設定に関わって感じたことがある。数年前から感じてはいたのだが、労働??雇用されて働くことといってよい??が若い人の中でone of them になってきているということである。直接的に仕事と私生活のバランスについて取り上げていない卒論であっても、つまるところ仕事と私生活のバランスについて取り上げている卒論が多かった。これは私が大学生であった頃には考えられないことである。たとえば男子学生が女性労働者の活躍について書くなどということはありえないことであった。しかし、数年前から、女性労働者を取り上げる男子学生がポツポツと現れ始めた。日本社会自体の変化を反映しているのかもしれない。こういう形で今に出会えるのも教員という仕事の面白さかもしれない。 |
キーワード1 | ワーク・ライフ・バランス |
キーワード2 | 長時間労働 |
キーワード3 | 有給休暇制度 |
キーワード4 | 職場環境問題 |
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