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学科 産業関係学科
年度 2018
ゼミ名 三山 雅子
タイトル 性別による職務格差 -女性の社会進出が妨げられている背景-
内容 「男は仕事、女は家庭」という性別役割分業の意識はどれほど残っているのだろうか。現在、共働きという家庭も珍しくはない時代がやってきた。しかし、女性の社会進出が進む中で、性別役割分業の歴史、考えが大きな妨げとなっている。女性が社会に出るようになったことで、家事を担うのは女性という固定化された概念に疑問を抱く人が増えた。一方、海外に目を向けると昔は日本と同じように性別役割分業があった国も、現在男は外で働き、女は家事という性別による概念がほとんどなく、誰しもが自由にかつ平等に働く社会づくりが進んでいる国もある。
男女によって「与えられている職務が異なっていて、賃金にも差がある」というのは決して当たり前、という一言で片づけられない。男女平等が実現している国が行っている制度は何か、日本に足りない制度や考え、仕組みは何なのか。日本の雇用制度、海外との比較など様々な角度から検討し、これからさらに女性が輝ける社会づくりになるにはどうしたよいのかについて考える。
講評 ここ数年と比べて熱心に取り組んだゼミ生が多かったとは思うけれど、今年も卒論は二極化していた。卒論の提出にあたっては様々な約束事がある。たとえば提出日だとか字数、つけるべき付属の文書などの形式的な事柄である。これらの形式的な事柄をそつ無くクリアーしている卒論は、卒論としての水準が相対的に高く、これらの形式をなんとかクリアーしたものは前者に及ばない。卒論はもちろん中身が大切??卒論に限らずあらゆる表現はそうなのだが??なのだが、けっきょく内容は形式に規定されてしまうのだ。それに加え、大学4年間で学んだものすべてが、卒論には結実しているとも感じた。授業でのレポートに真摯に取り組んでいたのかいないのかが、卒論には現れてしまっていた。当然のことなのかもしれない。昨日まで書いていたレポートにおいて、てにをはの整った日本語の文章が書けない人が、卒論になったからといって突然書けるわけがないのだから。きちんとした卒論を書くことは文系大学生としての最低限だと私は考えている。なぜなら文系大学生は、卒業後けっきょく言葉と言葉に基づいて行う行為である思考を武器に仕事をしていくからだ。だから学生時代の4年間を大切にしてほしいと思う。
もう一点、テーマ設定に関わって感じたことがある。数年前から感じてはいたのだが、労働??雇用されて働くことといってよい??が若い人の中でone of them になってきているということである。直接的に仕事と私生活のバランスについて取り上げていない卒論であっても、つまるところ仕事と私生活のバランスについて取り上げている卒論が多かった。これは私が大学生であった頃には考えられないことである。たとえば男子学生が女性労働者の活躍について書くなどということはありえないことであった。しかし、数年前から、女性労働者を取り上げる男子学生がポツポツと現れ始めた。日本社会自体の変化を反映しているのかもしれない。こういう形で今に出会えるのも教員という仕事の面白さかもしれない。
キーワード1 性別役割分業
キーワード2 日本の雇用システム
キーワード3 性差別賃金
キーワード4 同一賃金同一労働
キーワード5  
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