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学科 産業関係学科
年度 2018
ゼミ名 三山 雅子
タイトル なぜ演劇人はアルバイトをするのか  ~労働の観点から見る現代演劇~
内容 本論文では、現代演劇、中でも「小劇場演劇」にスポットを当て、「演劇=夢を追っているから食べていけない」というイメージを少しでも払拭し、「演劇は仕事にできる」ということを主張する。小劇場演劇の成り立ちと、現代演劇が公的支援を得るようになるまでの流れを紹介し、その歴史的背景をふまえて、現在の演劇業界の労働実態を明らかにする。その上で「演劇が仕事にならない」理由を検討し、その解決策を探っていく。
結果、「働き盛りの若い世代がほとんどいない」「年収は多くて300万円代という低所得」「個人負担の必要経費が多い」という現代演劇の労働環境の現実が分かり、「安定的な支援を受けられる」「運営にかかる経常費に支援してくれる」助成金制度を作ることが、お金を生み出せない演劇業界を支えるうえで必要不可欠であるという結論に辿り着いた。ただ、制度を整えるためには演劇が積極的に「社会」と繋がり「公共性」を持つこと、そして演劇業界の複雑さと課題を演劇人自らがきちんと自覚し、外に理解してもらう説明責任があることも加えて述べている。
講評 ここ数年と比べて熱心に取り組んだゼミ生が多かったとは思うけれど、今年も卒論は二極化していた。卒論の提出にあたっては様々な約束事がある。たとえば提出日だとか字数、つけるべき付属の文書などの形式的な事柄である。これらの形式的な事柄をそつ無くクリアーしている卒論は、卒論としての水準が相対的に高く、これらの形式をなんとかクリアーしたものは前者に及ばない。卒論はもちろん中身が大切??卒論に限らずあらゆる表現はそうなのだが??なのだが、けっきょく内容は形式に規定されてしまうのだ。それに加え、大学4年間で学んだものすべてが、卒論には結実しているとも感じた。授業でのレポートに真摯に取り組んでいたのかいないのかが、卒論には現れてしまっていた。当然のことなのかもしれない。昨日まで書いていたレポートにおいて、てにをはの整った日本語の文章が書けない人が、卒論になったからといって突然書けるわけがないのだから。きちんとした卒論を書くことは文系大学生としての最低限だと私は考えている。なぜなら文系大学生は、卒業後けっきょく言葉と言葉に基づいて行う行為である思考を武器に仕事をしていくからだ。だから学生時代の4年間を大切にしてほしいと思う。
もう一点、テーマ設定に関わって感じたことがある。数年前から感じてはいたのだが、労働??雇用されて働くことといってよい??が若い人の中でone of them になってきているということである。直接的に仕事と私生活のバランスについて取り上げていない卒論であっても、つまるところ仕事と私生活のバランスについて取り上げている卒論が多かった。これは私が大学生であった頃には考えられないことである。たとえば男子学生が女性労働者の活躍について書くなどということはありえないことであった。しかし、数年前から、女性労働者を取り上げる男子学生がポツポツと現れ始めた。日本社会自体の変化を反映しているのかもしれない。こういう形で今に出会えるのも教員という仕事の面白さかもしれない。
キーワード1 現代演劇
キーワード2 小劇場演劇
キーワード3 労働
キーワード4 助成金
キーワード5 公共性
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