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学科 | 産業関係学科 |
年度 | 2018 |
ゼミ名 | 三山 雅子 |
タイトル | プロ野球選手のセカンドキャリア問題と今後の展望 |
内容 | プロ野球選手の平均引退年齢は29歳であり、毎年100名ほどの選手が引退を余儀なくされている。また、若手選手の約6割が引退後の生活に不安を感じていることからプロ野球界のセカンドキャリア支援は急務であるといえる。 本論文では、プロ野球選手の職業的性格を考察したうえで彼らの抱えるセカンドキャリア問題について分析している。その中で、プロ野球選手という職業は大変希少価値の高い職業であるが、単年契約という不安定かつ格差の大きい職業であることがわかった。また、セカンドキャリアに関する問題として就きたい職と実際就いている職のミスマッチがあることやセカンドキャリア支援策が効果的に機能していないことなどが明らかになった。これらのことを踏まえて、「キャリア・トランジション理論」を通してアスリートのキャリア移行時における心情を分析する。最後に、セカンドキャリア問題の今後の展望として、「デュアルキャリア」の有用性を論じている。 |
講評 | ここ数年と比べて熱心に取り組んだゼミ生が多かったとは思うけれど、今年も卒論は二極化していた。卒論の提出にあたっては様々な約束事がある。たとえば提出日だとか字数、つけるべき付属の文書などの形式的な事柄である。これらの形式的な事柄をそつ無くクリアーしている卒論は、卒論としての水準が相対的に高く、これらの形式をなんとかクリアーしたものは前者に及ばない。卒論はもちろん中身が大切??卒論に限らずあらゆる表現はそうなのだが??なのだが、けっきょく内容は形式に規定されてしまうのだ。それに加え、大学4年間で学んだものすべてが、卒論には結実しているとも感じた。授業でのレポートに真摯に取り組んでいたのかいないのかが、卒論には現れてしまっていた。当然のことなのかもしれない。昨日まで書いていたレポートにおいて、てにをはの整った日本語の文章が書けない人が、卒論になったからといって突然書けるわけがないのだから。きちんとした卒論を書くことは文系大学生としての最低限だと私は考えている。なぜなら文系大学生は、卒業後けっきょく言葉と言葉に基づいて行う行為である思考を武器に仕事をしていくからだ。だから学生時代の4年間を大切にしてほしいと思う。 もう一点、テーマ設定に関わって感じたことがある。数年前から感じてはいたのだが、労働??雇用されて働くことといってよい??が若い人の中でone of them になってきているということである。直接的に仕事と私生活のバランスについて取り上げていない卒論であっても、つまるところ仕事と私生活のバランスについて取り上げている卒論が多かった。これは私が大学生であった頃には考えられないことである。たとえば男子学生が女性労働者の活躍について書くなどということはありえないことであった。しかし、数年前から、女性労働者を取り上げる男子学生がポツポツと現れ始めた。日本社会自体の変化を反映しているのかもしれない。こういう形で今に出会えるのも教員という仕事の面白さかもしれない。 |
キーワード1 | プロ野球選手 |
キーワード2 | セカンドキャリア |
キーワード3 | 引退 |
キーワード4 | キャリア理論 |
キーワード5 | |
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