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学科 | 産業関係学科 |
年度 | 2018 |
ゼミ名 | 三山 雅子 |
タイトル | 発達障がい者の就職・雇用 -新規学卒者の「就活」の現状から考える- |
内容 | 近年、発達障がいについて様々なメディアで取り上げられるようになったが、発達障がいについての社会の中での認知・理解は進んでおらず、企業においても発達障がい者としての雇用実績が少ないことから、必要な配慮が整備されていないことが多い。加えて、すでに働いている発達障がい者から、就職活動に関して有益な情報を得ることが難しいため、発達障がい者は新卒者採用の現場では厳しい状況に置かれている。また、大学のキャリアセンターにおいても、支援の実績が少なく、発達障がい者の就活生の困りごとの内容や傾向の全容が把握できていない部分があるため、適切なフォローを行うことが難しい状況にある。 そこで、本論文では、発達障がいを持つ筆者の就職活動の経験を基に、企業における発達障がい者に対する配慮の内容や、発達障がい者の障がい特性を踏まえたあるべき賃金・職種などの処遇とキャリアの体系など、発達障がい者の障がい者採用・雇用のあり方について述べていく。加えて、発達障がいのある学生の就職観の醸成や、就職活動を行う上でふさわしい行動・服装の習得のために、大学のキャリアセンターが実施すべきフォローの内容・あり方などについて検討していく。 |
講評 | ここ数年と比べて熱心に取り組んだゼミ生が多かったとは思うけれど、今年も卒論は二極化していた。卒論の提出にあたっては様々な約束事がある。たとえば提出日だとか字数、つけるべき付属の文書などの形式的な事柄である。これらの形式的な事柄をそつ無くクリアーしている卒論は、卒論としての水準が相対的に高く、これらの形式をなんとかクリアーしたものは前者に及ばない。卒論はもちろん中身が大切??卒論に限らずあらゆる表現はそうなのだが??なのだが、けっきょく内容は形式に規定されてしまうのだ。それに加え、大学4年間で学んだものすべてが、卒論には結実しているとも感じた。授業でのレポートに真摯に取り組んでいたのかいないのかが、卒論には現れてしまっていた。当然のことなのかもしれない。昨日まで書いていたレポートにおいて、てにをはの整った日本語の文章が書けない人が、卒論になったからといって突然書けるわけがないのだから。きちんとした卒論を書くことは文系大学生としての最低限だと私は考えている。なぜなら文系大学生は、卒業後けっきょく言葉と言葉に基づいて行う行為である思考を武器に仕事をしていくからだ。だから学生時代の4年間を大切にしてほしいと思う。 もう一点、テーマ設定に関わって感じたことがある。数年前から感じてはいたのだが、労働??雇用されて働くことといってよい??が若い人の中でone of them になってきているということである。直接的に仕事と私生活のバランスについて取り上げていない卒論であっても、つまるところ仕事と私生活のバランスについて取り上げている卒論が多かった。これは私が大学生であった頃には考えられないことである。たとえば男子学生が女性労働者の活躍について書くなどということはありえないことであった。しかし、数年前から、女性労働者を取り上げる男子学生がポツポツと現れ始めた。日本社会自体の変化を反映しているのかもしれない。こういう形で今に出会えるのも教員という仕事の面白さかもしれない。 |
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